現代的な経営への挑戦と調和の大切さ
私は会社の3代目です。親が経営者として働く姿にあこがれ、子供のころから跡を継ごうと決めていました。幸い、私が跡取り息子ということもあり、大きな衝突なく社員の方たちも私についてきてくれました。会社を現代的なやり方に変えたいと考えたときも、話し合いを通じて多くの理解を得られました。
しかし、跡取りとして強引に進めようとして失敗した経験もあります。就任当初は、古い体制を新しくすることが最善だと思い、新規事業にも挑戦しました。私たちの会社は水道などの設備を扱っていますが、売上を伸ばそうと家一棟のリノベーション事業に取り組んだ結果、本業が疎かになってしまいました。
また、さまざまな経営者との交流を通じて、人と人、会社と会社の関係において、何でも新しくしすぎると周りがついてこれず、失敗につながることがわかりました。そうして、調和の重要性を学びました。
若さを武器に挑んだ大きな成功への道
私は30代で、周囲の経営者に比べるとかなり若い方です。未熟な部分は多々ありますが、入社してくる方々と年齢が近いため、彼らの気持ちを理解しやすいです。また、経営者の組合や会合でもかわいがってもらえ、若さゆえに失敗を恐れずに挑戦しやすい環境があります。
東京から戻って2年目のころ、偶然にもこれまで経験したことのないような大きな仕事が舞い込みました。先代の社長である父は、この案件に対して失敗のリスクを考え、受け入れることに反対しました。その結果、私と父は意見が対立し喧嘩に発展しましたが、経営者として認められたいという強い思いから、父の反対を押し切って案件を承諾しました。最終的にこの案件は成功し、会社の知名度や信頼性が向上したことが非常に嬉しかったです。
東京での経験と長野で築いた経営者の支え合い
私は社長に就任する前、東京の建築系企業で約10年間働いていました。結婚を機に長野へ戻りましたが、東京で扱っていた大規模な物件のノウハウは今でも生かされています。どんなに初めての仕事が来ても、落ち着いて対応できる自信があります。
当時の建設会社は非常に厳しく、「軽い鬱になってからが一人前」と言われるほどの時代でした。中間管理職として、上からも下からも文句を言われ、始発で出勤し、終電で帰る生活が日常でした。大変な日々でしたが、この経験でメンタルが鍛えられたことは、今の自分にとって大きな財産だと感じています。
長野に戻ってから、多くの知り合いと再会し、困ったときには多くの人が手を差し伸べてくれました。さらに、同じく経営者となっているかつての同級生たちとも度々会い、採用や実績など経営に関する話や、従業員には言えない悩みを共有することが、私のメンタルの支えになっています。東京では得られなかったこの人間同士のつながりを、今では誇りに思っています。
50年以上の信頼と家族のような温かい社風
自社は創業から50年以上経ち、知名度が高いことが強みです。これにより、大手ハウスメーカーとの取引があり、仕事量を安定して確保でき、現場作業もスムーズに進められています。また、会社のアットホームな雰囲気も魅力の一つです。
私の子供を含め、社員の子供たちがよく会社に遊びに来ますし、先日行った社員旅行にも子供たちが一緒に参加しました。こうした活動は、小規模な会社だからこそできることだと思います。このアットホームな社風は、父が会社を経営していた頃からのものです。私自身も子供の頃、従妹たちと一緒によく会社に遊びに来ては、自由に時間を過ごしていました。
若手が働きやすい環境づくりへの挑戦
私は会社の若返りを目指しています。現在、会社は人手不足に悩んでおり、若い人たちが働きやすく、元気に働ける、楽しそうな会社にしたいと考えています。社長に就任してから、社内の古い体制を改革していく必要があると強く感じました。
共に働く職人の方々はそのつもりはないのでしょうが、客観的に見ると、お客様への対応が少し雑だったり、若い社員への話し方が乱暴に感じられることがあります。若い世代が働きやすいと感じてもらうために、周囲の会社を参考にしながら教育マニュアルを作成し、面接の際には現状を正直に伝えるよう努めています。
また、制服を今風に変更しました。以前は決まったTシャツとズボンが作業服でしたが、現在はスリムで現代的な作業着を社員が自由に選べるようにしています。さらに、近いうちに築30年の事務所をリノベーションすることも検討中です。他社の新しい事務所を見て、職場環境を整えることが人材確保につながると感じました。
一生懸命働いてくれる社員たちが長く会社に残れるよう、話し合いを重ねながら少しずつ会社の意識を変えていきたいです。
人と人、会社と会社の関係において調和が重要である
50年以上の信頼を守りつつ、若手が働きやすい会社への改革を推進