工場が日々の遊び場だった少年時代

私が幼い頃、祖父母や母は家業に忙しく、父は催事販売の仕事で全国を飛び回っていたため、休日はほとんど工場で過ごしていました。年末年始を除いて、家族で出かけることはめったになく、おやき工場が私の遊び場でした。そんな私の姿を、工場で働く従業員の方々はいつも温かく見守ってくれていました。私は、従業員の皆さんに育てられたような感覚を今でも持っています。両親が休日に家にいない生活は生まれたときからの当たり前で、特に違和感を感じたり不満に思ったりすることはありませんでした。しかし、周囲の友達が休日に家族と出かける姿を見ると、やはり羨ましく、少し寂しい気持ちになることもありました。
父の背中に学び、覚悟と挑戦の経営改革

東京の企業に就職して二年後、私は地元に戻り、いろは堂に入社しました。入社後すぐ、会社の現場を見て「もっとこうしたほうが良いのではないか」と感じる点がいくつもありました。当時、営業マニュアルは整備されておらず、担当者ごとに教え方が異なり、感覚的な接客や指導が行われていました。私はまだ社長になる前でしたが、営業や販売のオペレーションを一つひとつ見直し、改善を進めていきました。前社長である父は、私が社長に就任する以前から、少しずつ経営の実務を任せてくれました。時代の変化が激しいなかで、父は「よっぽどのことがない限り、自分からは口を出さずに挑戦を続けてほしい」という考えを持っていたのです。
事業継承の中で最大の転機となったのは、「おやきファーム」の設立計画でした。開発や建設、予算など不安は尽きませんでしたが、「お前がやるなら、お前が責任を持ってやれ」という父の一言が背中を押してくれました。この時、後継者としての覚悟が定まり、自分の中で大きな決意を固め、腹をくくることができました。
おやきを未来へつなぐ革新と伝統の「相乗効果」戦略

おやきの製造キャパシティの増加と工場の老朽化を受け、新たな工場の建設が決まりました。せっかく建てるなら、見学や体験ができる「おやきの発信拠点」にしたいという思いから、「おやきファーム」の建設が決定しました。おやきファームは、幅広い世代や地域の人々におやきの可能性や面白さを伝えることを目的とした場所です。一方で、鬼無里本店のコンセプトである「いろりを囲んでお茶と一緒に味わう」という、これまで大切にしてきたおやきのイメージも継承したいと考えました。そのため、おやきファームと鬼無里本店のコンセプトにはあえてコントラストをつけ、それぞれの魅力を引き立て合う関係を目指しました。おやきファームでは革新性を打ち出し、新しいチャレンジを通じて本店への興味を喚起します。逆に、本店では伝統の味と雰囲気を守り続け、おやきファームに訪れた人に「原点の魅力」を再認識してもらう場とします。どちらかを知れば、もう一方も知りたくなる。同じ商品を扱いながらも、目的と役割を分けた“食い合わない関係”を築くことで、相乗効果を生み出すことを目指しています。
支えてくれた人たちへの感謝がこみ上げた、おやきファームの案内日

おやきファームのオープン前、私が少年時代にいろは堂で共に過ごした従業員の方々をお招きし、施設を案内しました。その際に「立派になったね」「頑張ったね」と、温かい言葉をかけていただきました。けれども、おやきファームの完成までには、長年いろは堂に関わり支えてくださった多くの方々の存在があります。私一人の力ではなく、いろは堂を支えてくれたすべての人がすごいのです。100年という歩みの中で積み重ねられてきた皆さんの努力や支援に対する感謝の気持ちが込み上げ、案内中に思わず涙があふれました。同時に、この場所を守り、いろは堂をさらに成長させていく覚悟が固まりました。これからも、支えてくれた皆さんへの恩返しの気持ちを胸に、誠実に歩みを重ねていきたいと思います。
おやきを通じて人と地域を繋ぎ、幸せを実現し続ける

いろは堂は「人と地域を繋ぎ、幸せを実現し続ける」というパーパスを掲げています。私たちは、幸せとは“繋がり”の中から生まれるものだと考えています。おやきの魅力や文化を、国内外を問わずより多くの人に届けることで、働く人とお客様、お客様と地域といった様々な繋がりを育み、そこからさらに多くの幸せを生み出していきたいと思っています。いろは堂が、長野県と他地域を結ぶ懸け橋となり、地域に必要とされる会社であり続けること。そして、長野の皆さんに「いろは堂があって本当によかった」と思っていただけるような会社でありたいと願っています。
ご縁を大切に。伝統を守り、新時代へ繋ぐ。

社長としても、一人の人間としても、「ご縁を大切にする」という思いを常に胸に抱いています。いろは堂が100年続いてきたのは、私たちの努力だけでなく、多くの人とのご縁とタイミングが重なった結果だと感じています。おやきファームも、時代の流れに合ったコンセプトや立地、さまざまな人との関わりがあって形になったものです。そして、それはこれまでのいろは堂の歩みと同じく、伝統と時代の流れが交差する中で育まれてきました。私はいろは堂という法人に属し、その中で生かされています。これまで築かれてきた伝統や努力を、より良い形で次の世代につなぐことが、私の大切な使命です。これからも、いろは堂が良い状態であり続けるために、何を守り、何を変えるべきかを常に見極め、歩んでいきたいと思っています。
おやきの魅力や文化を、国内外を問わずより多くの人に届けたい
人と地域を繋いで、幸せを実現し続ける