母子家庭でスタンド育ち、自立して生きると決めた中学時代

生まれは長野県小海町という、人口4,000人ほどの小さな町です。周りは川と山ばかりののどかな田舎で、初めて自転車に乗れた日に「これでどこまでも遠くに行ける!」とワクワクしたのを今でもよく覚えています。実家はガソリンスタンドを営んでいましたが、次男だった私は「自分は普通にサラリーマンとして生きていくんだろうな」と子供の頃から跡継ぎではない自分を感じていました。私の価値観の根幹を築いたのは、父親の存在とその父親との突然の別れでした。また父の死から1年経っても、悲しみに泣き崩れる母親の姿を見て「1日も早く自立しよう」と覚悟を決めました。親がお金で苦労する姿を見てきた中で、金融に関心を抱き、高校卒業と同時に外資系証券会社へと入行しました。
昼は外資系、夜は大学。相次ぐ難局を泥臭く乗り越えた青春

次に入社したネットオークション世界大手のeBay Japanでは入社から1年足らずで日本撤退が決まり、オフィス機材を自社オークションサイトで整理・配送する撤収作業と事業所閉鎖を最後までやり遂げて、退職。その後、大学2年のとき、上司の誘いでパッケージソフトウェア世界大手であるマクロメディアK.K.へ入社することになりました。朝から晩まで働きながら日々刷新されるプログラム言語を学び直す目まぐるしい日々でしたが、「自分の力で、働き、生きる。」という原体験と技術革新、そして、モバイルインターネットの幕開けと海外勤務など、未知の世界を味わう楽しさがあり、手探りながら泥臭く踏ん張ることができたと感じます。
起業の原点と父の温かな姿勢

私の起業の原点は父との突然の別れでした。中学2年生の時に父が44歳の若さで急逝し、足場がごっそり崩れ落ちるような衝撃を受けました。父の葬儀で周囲の大人たちが酒盛りをし、その対応に追われる中で一番悲しいはずの母が父の傍らに寄り添えなかった光景への違和感も鮮明に覚えています。「父親は遺される妻と子どもの心配をしていたに違いない。遺される家族を中心にした葬儀を実現したい」という思いが、のちの起業における原点となりました。
大人になるにつれ実感するのは、自分の中に息づく父の面影です。柔道をしていた父は、厳しさもありながら、決して威張らず物腰の柔らかい優しい人でした。母や、周りから「話し方や声のトーンがお父さんにそっくりだ」とよく言われるようになりました。父は何気ない会話の中でも相手の心情に深く耳を傾ける人でした。感情は水面下の氷山と同じで、言葉になるのはごく一部です。不用意な言葉で傷つけたり誤解を生んだりしないよう、相手に寄り添う温かい言葉を選ぶ姿勢は、父から引き継いだものだと感じています。
葬儀業界で「死」と正面から向き合うこと

よく「死を扱う仕事は気が滅入りませんか?」と聞かれますが、実感は真逆です。人が死を恐れるのは、それが正体のわからない未知のものだと感じているからだと思います。人類は歴史の中で「別れをどう受け止め、どう生きるか」という知恵を宗教や生活の中で紡いできました。死をタブー視せず客観的・文化的に学ぶと、恐怖は消え、「限られた人生をどう生きるか、自分の命をどのように使うか」という前向きな視点へと変わります。死をまっすぐ見つめることこそ、今ある生を心から肯定することなのだと信じています。
葬儀社を創業して以来、死はとても不自由だと感じてきました。従来の葬儀には選択肢が少なすぎると感じていたからです。地域の普通や、誰かの普通を押し付けたり、過去の習わしを窮屈になぞる姿を多くの場面で目にしてきました。私たちは、もっと開かれた自由な選択肢を提供したい。ゼロ葬®、奏葬式、DIY葬、託葬®、おくるだけ樹木葬®、葬儀保険、見守りくんfor LINE、おひとりさまの生前契約、つばさ未来レターなど、具体的な誰かのために私たちは提供サービスを今後も掘り下げていきます。
就活生へ伝えたい「行列に並ばず、自分の道(サードドア)を開く思考」

進路に悩む若者と話していると、「みんな正解を探しすぎている」と感じます。「人気だから」と大手を目指し、1,000人の行列の最後尾にわざわざ並んでしまうのは、他の選択肢を知らないからだと思います。目の前の山を登る際、誰もが通る登山道を自分の足で歩む必要はないのです。ヘリコプターを使っても、原付免許を取って移動しても、バスに乗ってもいい。誰も気づいていない「自分の道(サードドア)」を探せばいいのです。「自分は何のためにそこへ行くのか」という目的さえブレなければ、目的地へのアプローチはどこまでも自由でいいはずです。
「道半ばで死ぬことの幸せ」と次の挑戦

「山を登りきっても、その向こうには次の山が待っている」。私のこれまでの人生とビジネスは、まさにこの繰り返しでした。一つの目標を越えても、すぐに次の課題が現れます。若い頃は「これを越えれば楽になるかな」と考えたこともありましたが、そんな終わりはどこまで行ってもありませんでした。けれど、それは絶望ではなく希望だと感じます。登るべき山があるからこそ人は足を止めずに歩み続けられるのであり、この終わりのない挑戦の継続こそが私の生きる意味になっています。
「すべてやりきった」と満たされて人生を終えるのは、むしろ少し寂しいと感じます。死ぬ間際まで「登りたい山がまだある、あれもこれもやりたかったのに」と思いながら死にたいのです。今、私が本気で挑む「次の山」は、身寄りのない高齢者が抱える「死の周辺における不自由」の解消や「健康寿命を伸ばす取り組み」です。高齢になる不安を持続可能なビジネス(株式会社)の仕組みで解決していきたいと考えています。座右の銘である「素直」な心で、幾つになっても現実と真正面から向き合い、泥臭く山を登り続けたいと思います。


苦難を越えて自立の道を突き進んだ男が挑む。死の不自由を解消するため、新たな山へ泥臭く登り続ける。