21歳で家業を継いだ決断と挑戦
会社を継いだのは21歳のときです。もともとは小さな会社で、継ぐつもりはありませんでした。しかし、家には長男が跡を継がなければならないという雰囲気があり、この会社を継ぎたくないという思いから、学生時代は勉強に明け暮れていました。
当時通っていた東京工業大学では、超電導についての研究を進めており、将来はこれを仕事にするだろうと考えていました。しかし、その時期に父親が急逝し、他に後を継げる人がいなかったため、泣く泣く大学を中退し、家業を継ぐことになりました。
当時は酒造業や社長業の知識もなく、どこかに勤めた経験もなかったので、とにかく大変でバタバタしていたことを覚えています。この仕事を40年続けてきましたが、歴史的には長く感じるものの、つい3日前くらいの話のように感じます。本当にあっという間にこの歳になったと感じます。
低迷するブランドを刷新し、新しい時代を切り開く
私が会社を継いだ当初、創業当初から続く「養老正宗」というブランドがありました。しかし、その頃の市場では「養老正宗はあまり美味しくない」と言う人が多く、ブランド価値が低かったのです。このイメージを何とかしなければと考え、「渓流」という新しいブランドを作り出しました。名前は信州を流れる美しい川が由来です。今では遠藤酒造場を代表する看板商品になっています。その後も「直虎」や「彗 (シャア)」など、新しい商品を次々に開発し、遠藤酒造場の新しいイメージを築けたと思います。
蔵開きに込める想いと、地域に根ざした酒造業の使命
一番のやりがいは蔵開きです。春には毎年3万人以上の方が楽しんで訪れてくださいます。おいしいお酒は世の中にいくらでもありますが、この地域で蔵開きを行うのは私たちしかできません。これが私たちの存在価値であると感じています。そして、喜んで帰っていただけることが私の生きがいです。地域に蔵開きを楽しんでくださる方がいる限り、私たちは存続し続けなければならないと思っています。
業界の常識に囚われず、独自の道を切り開く
「業界の人間にならない」という姿勢で取り組んでいます。業界で主流になっていることの反対側を行くことを心掛け、これまで業界の常識に囚われない姿勢を貫いてきました。そうしなければ、小さな蔵元は生き残れないからです。他の酒造場にはない特徴を出すために、常に新しいことに挑戦してきました。
お酒作りに関しては杜氏に一任しています。私が余計な口を出して彼らの仕事を邪魔したくないので、彼らは良い酒を作るために一生懸命取り組んでくれています。私はその努力を見守りながら、専門分野については社員を信頼し、仕事をどんどん任せています。
地元とのつながりが鍵となる
私が家業を継いだとき、先代からのつながりが途切れてしまい、一番困ったのは、電気が壊れたり屋根が壊れたりしたときに、どこに頼めばいいのかわからなかったことです。長く続いているお店には、お抱えの電気屋さんや瓦屋さんがいて、そのような人たちとのつながりに助けられることができるのです。
私は、代々家業を続けていくためには、地元の人々とのつながりがとても重要だと考えています。実際に蔵開きに関しては、約30社の地元のさまざまな企業の方々に実行委員会を担当していただいています。先ほど、3万人の来場者がいるとお話しましたが、それだけの人数が来ると、関わっている企業も収益を上げることができます。このような取り組みを20年近く続けてきた結果、私たちの酒蔵を中心としたコミュニティが形成されていきました。
私が退いた後も、「遠藤さんにはお世話になった」と思ってくれる人や企業が多くいることは、次の世代が生き延びていくために非常に重要だと思います。これが、後世に家業を残していくための鍵だと考えています。
若者たちへのメッセージ
今はネットで簡単に情報を得られる時代ですが、私は新聞を隅から隅まで読むことをおすすめします。私も毎朝1時間半かけて新聞を読むようにしており、読んだ新聞の情報を自分にどう肉付けするかが重要だと考えています。
会社の運営はヨット操縦と同じ。楽して船室に閉じこもっていると風向きが変わってくる。その風が気まぐれの風か、本格的な風10xなのか見極めることが大事。過去の延長線上でうまくいくはずがないです。
最後に遠藤酒造場は今後とも須坂に1つしかない造り酒屋として、文化の発信源としてどんどん全国いや世界で活躍するつもりでいきます。戦略転換点は今です。私は常に危機感を持って会社経営に取り組んでいます。その恐怖心が進化してきた遠藤酒造場の源となってきたと思います。
皆様もどうか新しい風に向かって進みましょう!
地域と共に未来を築く、地域に愛される酒造の魅力とは
酒造業界の常識を覆す遠藤酒造場の挑戦の軌跡