木賣 慈教

宗教法人西敬寺
木賣 慈教
ZIKYOUKIURI

時代の流れを読み、今を生きる信州人の心の拠り所を作る。若さを活かして、失敗を恐れずに挑戦し続ける住職

【長野市】西敬寺 木賣慈教

時代の流れを読み、今を生きる信州人の心の拠り所を作る。若さを活かして、失敗を恐れずに挑戦し続ける西敬寺の木賣慈教住職に、若くして住職になった苦労や、檀家さんとの向き合い方について、根掘り葉掘り深掘りなインタビューをさせていただきました。

インタビュアー
森澤 彩夏

やわらかい微笑みとやさしい言葉で接する『和顔愛語』の教えを胸に、何かあった時頼れる心の拠り所となるお寺

覚悟のないままに住職の道へ

私が高校3年生の4月に前住職であった父が、くも膜下出血で急逝しました。後継者として認めて頂かないと、生計を立てていた境内地から遺族は出ていかなければならなかったため、恥ずかしながら流れに身を任せ覚悟がないままにお寺を継ぐことを決心しました。しかしまだ高校生だったため、前提となる僧侶の資格も無い私を助けようと大叔父が代理住職を務めてくださり、その間に龍谷大学真宗学科に進学し、住職になるための資格取得に励みました。高齢でありながらお寺の歴史、何よりも門信徒の皆様とのご縁を紡いでくれた大叔父には感謝しかありません。

「諸行無常」〜変化に対応する〜

大学での学びや実際に現場に出ることで気付かされたのが、寺院は既得権益(江戸時代から続く寺檀制度)にあぐらをかいて権威主義と甘えの体質が染み付いてしまっていると言うことでした。社会構造の変化によって人口が流動的になり、特に寺檀制度の前提である「家制度」自体が崩壊してきていていることに、目を背けて寺院を運営することは最早不可能です。「諸行無常」という言葉がありますが、「世のすべてのものは、移り変わり、永遠に変わらないものはないということ。」と、教えてくださる仏教の根本思想を今一度肝に銘じて、寺院運営も時代の大きな変化に対応していかなければなりません。

今後はお寺と家ではなく、お寺と個の繋がりが求められる時代になると考え、新たなご縁を創出する為に毎月公開講座を士業の方々の協力を得て開催し、また時代に即応したご葬儀(仏事全般)をご提案しています。今後、ご縁を頂いた皆様に寄り添い、更なるご要望を傾聴し、皆様が安心出来る仕組みづくりを整えながら心の拠り所になっていきたいと考えています。

今までやってきたことを可視化する/通知表をもらいました

2016年~2019年に渡って、本堂の建設事業を行いました。これを機にあらためて門信徒の皆様や地域の皆様が求めている理想寺院の在り方、そして住職としての現在地を教えて頂いたように思います。西敬寺では護持運営に関して、役員会での慎重な協議を経て門信徒の方々への丁寧な説明を心がけています。本堂の建設事業に関しても役員の方々のご協力を得ながら私が個別にご訪問の上ご説明しご納得頂く努力を重ねました。

そのような中、病気療養中であった方が「私は本堂が完成するのを見ることは出来ないだろう、あなたが住職を懸命に務めてこられたことに敬意を表したい。そして、私のお葬式はここでやってほしいし、遺していく家族の拠り所になってほしい。この寄付はお寺のためでもあるし、自分のためでもあるので預けたい。受領証はすでにいただいているから。」と、事業の趣意書が届いたであろう翌日にわざわざご寄付をお届け下さいました。

住職として門信徒方々に迷惑をお掛けしているのではないか? 本当に必要な事業なのか? と不安に押しつぶされそうでしたが、お寺をこんなにも大切に思ってくださる方がいて、教えを次の世代に伝えようとしている思いに勇気づけられました。この事業を行うことで門信徒の皆様との関係を可視化し見直すことが出来たように思います。ある意味、住職を拝命してからの通知表をいただいたようにも思っています。

人生に失敗がないと人生を失敗する

精神科医としてご活躍された齋藤茂太さんの言葉「人生に失敗がないと人生を失敗する」を大切にしています。お恥ずかしいことに今までたくさん失敗してきましたが、有難いことに「若さゆえの未熟さ」を前提として、沢山の失敗を有縁の方々に許されてきたように思います。兎に角、経験させていただこう、若いうちは失敗したってやり直しが効く、失敗を恐れてやらないことの方が失敗だと思い挑戦してきました。もし失敗してもそこから学びを深め、目的地に到達する為に自分の現在地を確認する絶好の機会だと思って歩んできました。


また、失敗する度にその失敗によってご不興を買ってしまったことに躊躇せず、直ぐに誠心誠意謝罪することを意識してきました。それはタイミングを誤り後手にまわれば回るほど、「言い訳」が多くなるばかりで信頼を挽回するどころか関係性自体を失いかねないとの反省からです。

謝罪することは自分と向き合うこと

「謝罪」には、ネガティヴなイメージがつきまといますが、「謝る」ことは、他の誰でもない自分自身の為に行うことだと私は思っています。仮に謝った時に“許さない”と言われたとしてもそれは、先方からの見捨てないというサインであり、今後も育てたい・繋がっていたいというご厚情といただくようにしています。“許さない”とさえ言ってもらえず、無関心になってしまったら、それは見捨てられたということになります。

そして許して頂けるまで向き合って行く、それはご迷惑をお掛けした方にだけではなく、自分の未熟さや自己中心性に向き合い成長の糧とさせていただくことではないでしょうか。勿論、失敗しないように心掛けご縁をいただくことが前提ではありますが・・・。

人脈を駆使して発信力・拡散力を磨く

今振り返ると皆様に支えられ22歳で住職になれたことはとても恵まれていたと思います。また、30歳で入会した長野青年会議所では他業種の方と関わり、企画能力・プレゼン能力・ITスキルなどを高めることが出来ました。そして40代になり本堂建て替えという大きな事業をさせていただいた時、これまでに培った様々な人脈が事業を支え成功へと導いてくれました。これにより本堂というハード面が整い、また公式サイトやLINE公式の活用などDXを一歩先んじて進めることが出来ました。


現在の悩みは発信力・拡散力の弱さです。お寺も発信力が問われる時代になっています。SNSなどを活用して情報発信はしやすくなっていますが、発信だけして訴求できていない場合が多くあります。浸透させるには第3者による口コミやシェアがとても重要です。信頼できる人からの口コミやシェアがなどであればなおさらです。だから私も地域で頑張っている仲間の発信をしっかりアンテナを張ってキャッチし、自分なりに拡散のお手伝いをしています。そのような繰り返しが今度は自分に返ってくる。こういった良い循環を整えていくことが大切だと考えています。

若さを有効活用しよう!

若さは何物にも変えられない資産です。しかし若いうちは活躍の場を掴みとるのは容易なことではありません。その場を与えて貰うために勇気を持って行動すること、失敗を恐れないこと、時に恥を恐れず開き直ることが大切だと考えます。私自身若い時は「教えてください、助けてください」と周りに思いっきり頼ってきました。


どうでしょう逆に「教えてください、助けてください」と頼られて嫌な気持ちになるでしょうか? 頼って頂けるということは人間にとって大きな喜びではないでしょうか? 来年50歳になろうとしている今は、若い方から勇気を出さずとも「教えてください、助けてください」と頼られる存在でありたいと、頼られたら先ず「喜ぶ」ことを大事にしています。

喜びの循環を作る

失敗を重ね許していただくばかりであった私には、お世話になった方々にお返しするものが何もありませんでした。ところが素直に喜び、感謝を申し上げるだけの私に、「あなたは喜び上手だね。喜びを表現することが上手な人は、それだけで周りを仕合わせにするんだよ。」と教えてくださる方がいました。「喜び」・「感謝」することが健やかな循環を生み出し、そこに明るく・しなやかなご縁が育まれると思います。

いただいた「ご恩」は返しきれないけれど

今、人間として生を享けて49年、住職を拝命して27年間を振り返ると、多くのご恩にお育ていただいたとあらためて感謝の念が湧いてきます。しかしそのご恩は、私が求めるより先に届けられ、見返りを求められないが故に分かり難く「当たり前」と享受してきたように思います。まさに「恩知らず」な私でありました。しかし、その「ご恩」を知ったとて返し切れるものではないと感じています。せめて私が「ご恩」と喜ばせて頂いたことを出来るだけ多くの方々へ送っていく、言うならば「恩送り」を住職として務めて参りたいと思います。

木賣 慈教
木賣 慈教
ZIKYOUKIURI
1973年長野市生まれ。龍谷大学文学部真宗学科卒業、在学中に住職を拝命する。翌年、住職継職奉告法要厳修。1997年から2002年龍谷大学大学院・本願寺派宗学院にて宗学を修める。
宗教法人西敬寺

〒381-0016 長野県長野市南堀336

電話番号:026-243-5570

本記事のインタビュアー

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