村山 幸造

株式会社 黒船
村山 幸造
KOZOMURAYAMA

魚屋に育ち、長野の食文化を変えたいという願いを胸に居酒屋の多店舗展開に挑戦する社長。
掲載日2025.2.20

黒船 村山幸造社長「自身が黒船となって、閉鎖的な長野県の食文化を変えたい」【長野市】

魚屋に育ち、長野の食文化を変えたいという願いを胸に居酒屋の多店舗展開に挑戦する黒船の村山幸造社長に、自身の過去や料理に対する思いについてお話を伺ってきました。

インタビュアー
坂東 篤磨

魚屋育ちが築いた本格料理の居酒屋
長野の食文化を変えたいという願いと挑戦が、多店舗展開の成功を生む鍵となる

目次

魚屋育ちから料理人へ

私は昔から食べることが大好きでした。実家が魚屋だったので、子供の頃は朝から晩まで魚を食べていました。当時はその環境にコンプレックスを抱いていましたが、今振り返るととても恵まれていたと思います。高校生の頃、レストランのアルバイトで初めてハンバーグやステーキを食べた時、こんなに美味しい食べ物があるのかと感動しました。その体験がきっかけで、料理を学べば美味しいものをもっとたくさん食べられるのではないかと思い、料理の道に進むことを決めました。

日本料理の修行から居酒屋開業へ

その後、日本料理屋で修行を重ね、いつか自分の店を持つことを夢見て日々精進してきました。当時の飲食業界では、日本料理屋で修行すれば日本料理屋を、寿司屋で修行すれば寿司屋を独立して開業するのが一般的でした。しかし私は、磨いた技術や知識を特定の限られた人だけに提供するのは勿体ないと感じていました。より多くの人に自分の料理を届けるために、自身が店を出すタイミングで居酒屋を始めることを決めました。

当時の居酒屋は、料理未経験の一般人が簡単な手料理と共にお酒を提供するのが一般的でした。私はその常識を覆すような、安価でも本格的な料理が楽しめる居酒屋を作りたいと考え、最初のお店をオープンしました。

黒船の名に込めた想い

当時は、今ほど物流が発達していない時代でした。長野県では新鮮な海産物を手に入れるのが難しく、そういった食材を扱うお店はほとんどありませんでした。それは単に物流の問題だけでなく、こだわりの食材や手の込んだ料理にお金を出す長野県民が少なかったからでもあります。しかし、それは県民のせいではなく、そうした価値を提案できていない料理人に問題があると私は考えていました。

さらに長野県は周囲を山に囲まれた閉鎖的な地域で、昔から「まるで鎖国時代の日本のようだ」と感じていました。そこで、私は自身が黒船となって、この閉鎖的な長野県の食文化を変えたいという思いを込めて、会社に「黒船」という名前をつけました。

手書きチラシから始まった繁盛店への道

最初のお店は長野の郊外にオープンしました。しかし、駅前に比べて人通りが少なく、最初はお客様を呼び込むのにとても苦労しました。自分で地図やメニュー、割引情報を手書きでまとめたチラシを作り、セブンイレブンのコピー機で印刷しました。昼間は近くの工業団地にある会社を一軒一軒回って、「お願いします!」と頭を下げながらチラシを配り歩きました。それでも、なかなかお客様は来てくれませんでした。そんな中、ある日、印刷会社の会長が配ったチラシを持ってお店にやって来て、「これ持ってきたから、ちょっと食わせてくれ」と言いました。お料理を出したところ、その方にとても喜んでもらえ、「俺がこの店を宣伝してやる」とおっしゃってくださいました。その後、その方が知り合いを連れて来てくれるようになり、そのお客様がまた新しいお客様を連れてきてくれるという形で、少しずつお客様が増え、やがてお店が繁盛するようになっていきました。

料理人から経営者へ

実家が魚屋だった私は、市場の仲卸もできたため、朝早くから市場で競りをして新鮮で安い魚を仕入れることができるという強みがありました。そのため、自身の店で提供する魚料理には強い自信を持っていました。多くのお客様が私の魚料理を求めて来店してくれたおかげで、店は繁盛しました。

しかし、店が忙しくなるにつれて、一人では手が回らなくなってしまいました。当時は同級生に手伝ってもらっていましたが、それでも人手が足りず、酒や料理を出せないことが多々ありました。その時、私のお店を広めてくれた会長がこう言ったのです。「お前は料理人なのか、経営者なのか、どっちなんだ?」私は「料理人と経営者の両方ですかね」と答えました。すると、その会長は「じゃあ早く店を閉めろ」と厳しく言いました。そして続けて、「料理人になりたいなら、どこかの料理屋で働けばいい。でも、君は経営者なんだから、お客様が喜んでくれなければ経営は成り立たないんだ。自分が好きなものを作って満足しているだけなら、料理人として生きればいい。でも、お客様を本当に満足させたいと思うなら、料理人ではなく経営者になりなさい」と諭されました。その言葉を受けてから、私は考え方を大きく改めました。それから毎日たくさんの本を読み、経営について学ぶようになったのです。

水炊きとの出会いと多店舗展開

お店を続けていく中で、「自分の目指すべきところは何だろう」と考えるようになりました。私は自分でお店を開いて切り盛りすることがとても楽しく、「この楽しさをもっと多くの人と共有したい」と思うようになったのです。その結果、アルバイトを雇い始め、少し余裕ができてから多店舗展開を視野に入れるようになりました。2店舗目は住宅街の近くにあり、店舗も広かったため、家族連れが来られる居酒屋を目指しました。おつまみの他に子供向けのメニューを追加したり、子供のドリンクを無料にしたりと、お客様のニーズに応える工夫を凝らしました。当時は飲酒運転の規制が緩かったこともあり、郊外でありながら多くのお客様が訪れ、経営も順調でした。

しかし、法改正で飲酒運転が厳罰化されると、周辺の飲食店は次々と閉店し、この店の経営状況も悪化してしまいました。あらゆる施策を試しましたが、どれも効果は限定的でした。そこで、この状況を打破するために、一か八か駅前にお店を出す決断をしました。駅前の新店舗でどんなお店にするか考えていましたが、なかなか良い案が出ず、気晴らしに九州へ旅行に行きました。そこで出会ったのが博多の水炊きでした。「長野で水炊きを提供する店はないし、寒い気候の長野なら鍋料理は絶対に成功する」と確信し、料理長と共にスープの開発に取り組み、水炊き専門店「鳥蔵」をオープンしました。その後、さまざまな巡り合わせによって店舗が増え、現在の多店舗展開に至っています。

仕事を楽しむ力が成功を呼ぶ

仕事において大切なのは、「与えられた仕事をいかに楽しむか」ということです。私は、仕事を楽しめる人はどんなことをしても成功できると考えています。ただ、それは簡単なことではありません。多くの人は、与えられた仕事に慣れ、それをこなすだけになってしまいがちです。そのため、仕事が楽しくないと「もっと楽しい仕事を与えてほしい」と思ってしまうものです。しかし、そうではなく、自分の仕事の中で何かしら楽しみを見出せるようになってほしいと願っています。自分の仕事を楽しめるようになると、他の人に比べて成長が早くなり、その考え方が最終的には自分自身を成功に導いてくれるはずです。

村山 幸造
村山 幸造
KOZOMURAYAMA
1969年長野県生まれ。長野工業高校卒業。1994年、株式会社黒船を創業。
株式会社 黒船

〒381-0031 長野県長野市西尾張部1004-2

TEL:026-244-2551

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