太田 喜久

山屋御飴所
太田 喜久
YOSHIHISAOTA

伝統ある松本飴の継承と革新、新商品開発から地域連携イベント「松本あめさんぽ」まで、多くの挑戦を経て変革を遂げる社長。
掲載日2024.5.24

山屋御飴所 太田喜久社長 「伝統ある松本飴と飴文化を広く伝えるために、新たな挑戦を続ける」【松本市】

伝統ある松本飴の継承と革新、新商品開発から地域連携イベント「松本あめさんぽ」まで、多くの挑戦を経て変革を遂げる。人との繋がりを大切にし、成長をし続ける山屋御飴所の太田喜久社長に、自身の過去の話や、松本の飴文化などについてお話を伺ってきました。

インタビュアー
中下 茉南

江戸時代から続く伝統ある松本飴の継承と革新
松本飴の魅力を全国に届けるために、これからも新たな挑戦を続ける

目次

1672年創業、山屋御飴所が継承する伝統と革新

山屋御飴所の創業は今から352年前、寛文12年(西暦1672年)に遡ります。私たちは江戸時代から続く松本飴の文化を今に伝えています。当初は飴の製造からスタートしましたが、私の父の代から株式会社山屋として建材事業も手がけるようになりました。その時期、会社内では飴製造は一部門として位置付けられていました。

私自身、学生時代には建材事業を継ぐ意志がありましたが、飴製造の継承は考えておらず、大学を卒業して入社してからは30年以上建材事業に従事していました。飴部門は弟が引き継いでおり、後に会社の事業から切り離し個人事業として存続させることになったのですが、軌道に乗り始めた矢先に彼は若くして亡くなってしまったのです。長い歴史を持った家業を継いだ彼の死に直面し、深い悲しみに包まれながらも「このままでは長い歴史を持つ飴が途絶えてしまう」との危機感を抱き、子供たちが巣立ったタイミングで、約6年前に会社を早期退職し、飴事業を引き継ぐことを決意しました。建材業界でサラリーマンとして働いていた時も、時折、弟の飴作りを手伝っていたので、ある程度の作業工程はわかっていたものの、ほぼすべての飴について肝心のレシピは残されていませんでした。代々職人の仕事は独自の感覚で行われて来たため、レシピの不在は大きな課題でした。早速、すでに退職していた数人の職人らを呼び集めてヒアリングし、その内容を基に試行錯誤した結果、ついには昔の味を取り戻すことができたのです。

伝統をまとう松本飴の魅力

松本飴の中でも当店の人気商品である「板あめ」の最大の魅力は、一般的な飴と異なり「食べる飴」という点にあります。通常、飴は舐めるものと思われがちですが、「板あめ」はその名の通り板状で、パリパリとした食感が楽しめます。この独特の製法は、先人の知恵と技術によって生まれたものです。松本の乾燥した気候、街中に点在する湧水群、そして米どころという飴作りにとっての三つの好条件が揃った結果、明治時代には、松本地域には約20社以上の飴屋があり、飴文化が栄えていました。400年以上続いていると言われる「あめ市」は今もなお開催され、その時代の文化が今日に継承されています。

私たちは、昔ながらの製法を守りつつ松本飴の魅力を次世代に伝えています。古来より作られている米飴は、添加物を一切使用せず、砂糖も含まれていません。その甘さはでんぷんの糖化によるもので、これが当店の造る飴の特徴の一つです。多くのお客様がこの自然な甘さに驚かれることも、松本飴の独特な魅力と言えるでしょう。

伝統を守りつつ現代の嗜好に応える新商品開発

伝統的な製法を守ることは大変重要と思う一方、それだけでは嗜好が多様化する現代においては埋もれていってしまいます。このため、私は新商品の開発に力を注いでいます。現代の消費者の好みに合った製品を考案することで逆に伝統的な味に回帰する機会が生まれるのではないかと考えています。新商品をリリースした際、お客様から喜びの声をいただけるのは何よりの喜びです。まだ多くのアイデアがありますので、それを形にしていくことを楽しみにしています。新しい商品に挑戦することが周囲にも影響を与え、仲間が増えていくのも大変嬉しいことです。

松本あめさんぽ – 競合を超え、共に飴文化を広める三軒の飴屋の取り組み

松本には古くから続く飴屋が三軒あり、その中には山屋御飴所も含まれます。これらの飴屋は競合関係にありながらも、「松本の飴文化をより多くの人に知ってもらいたい」という共通の願いを持っています。この想いから、三社共同で「松本あめプロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクトでは、新しい商品を共同で開発したり、「松本あめさんぽ」というイベントを2019年から開催しています。このイベントでは、松本市内だけでなく全国の飴屋にも声をかけ、彼らの商品を紹介することで、全国の飴を多くの人に知ってもらう機会を創出しました。この活動を通じて、飴文化への関心を深め、様々な人々を結びつけることができました。

新たな試みと成長の物語

「為せば成る、なさねばならぬ何事も」という言葉が私の座右の銘です。新商品の開発や新プロジェクトの立ち上げといった新たな挑戦は常に不安を伴いますが、「やってみなければ何も始まらない」と私は考えています。ずっと同じことを繰り返していても、自分の成長は望めません。意志を持って新しい世界に一歩を踏み出すことで、人との新しい繋がりが生まれ、新たな知識を得ることができます。

これまでの様々な挑戦を通じて、飴を介して多くの人々と繋がり、それが私の成長に大いに役立っています。これから先、社会を担う皆さんにも、不安はつきものですが、躊躇せずに挑戦してみることをお勧めします。何も行動しなければ何も始まりません。挑戦することでのみ、真の成長があります。

太田 喜久
太田 喜久
YOSHIHISAOTA
1961年長野県生まれ。拓殖大学経済学部卒業。1987年、株式会社山屋入社。2018年、山屋御飴所入社。2019年、代表に就任。
山屋御飴所

390‐0874 長野県松本市大手2-1-5

TEL:0263‐32‐4848 

FAX:0263-32-4846

 

10代目以上 60代社長 ワークライフバランス重視 創業100年以上 地域密着型 東信 製造

本記事のインタビュアー

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