将来の夢はサラリーマン!?
商売やっている家の長男は、大抵「後継ぎだね」と普通に言われます。だから後継ぎだというのは、無意識のうちに刷り込まれていたんでしょうね。反発した時期もありましたよ。小学校の時、将来の夢という作文で「サラリーマンになりたい」と書きました(笑)。きっとその時の自分は、職業選択の自由が欲しかったのかも知れませんね。それでも中学生の頃には、観念して後を継ぐ覚悟を決めていました。
私にとってのゴールは、大学や就職ではなく、一級建築士を取得し会社を継ぐことでした。25歳で資格を取得し、29歳で田尻木材に入社。その後は「目の前にあることをひたすら頑張ればいいんだ!」という気持ちで働いていました。今になって思えば、それって何にも考えていなかったってことですよね。
スムーズな事業継承
現会長である父は25歳から40年間、社長を務めていていました。入社して3年ほど経ったある日、社長から決算書を見せられました。その数字はお世辞でもいいものとは言えませんでした。数字に強くない私から見ても、この状況が続けばいずれ…と予測できるほどでした。社長の頭の中に打開策があるように見えず、いつも「こういう景気だから、しょうがない」と口癖のように言っていました。
私が30歳を過ぎた頃から、「代表変われ」と言われはじめました。父はいつでも代表を譲るよというスタンスでしたが、私がそれを拒んでいました。父との確執は全くなく、ただ私にわだかまりがあったっただけです。「その時にもっとやっておくべきことはあったよね?」「もっとあの時にうまくやっといてくれていたら、こんな状況じゃなかったよね」と。
社長になろうと思った時、父は「どうぞ、どうぞ」という感じでした。「史上まれに見るぐらいに、すんなりと代替わりしましたね」と、うちの会社をよく知る人からは言われました。
しあわせやのスタート
平成14年から、「しあわせや」という屋号を使い始めました。新しいスタートを切るにあたり、田尻木材という名前だとやりにくかったんです。「木材」ってコテコテの和風の家ばかりを作っているというイメージがついてまわってしまうんですね。だったら「しあわせや」という屋号で、自分の好きなようにやりたかったというのが大きいです。
自分は「こうしたい」と思い始めると捨てられないタイプなんです。根は素直なのに、変なところが頑固なんです。やろうと思ったことはすぐにやるのに、うちの会社はそうじゃないよな?と思ったことはできない。曲げられないんです。だから「しあわせや」の成長スピードは決して早くはなかったです。
最後に責任取るのは自分―社長になって気づいたこと
社長に就任してすぐ、同じお客様のところへ2度、謝罪に伺うという事態が起こりました。私が直接関わっていたこともあるし、私が関わっていないこともありました。でも最後の最後に責任をとるのは社長である自分なんだと、その時改めて実感しました。お客様の家へ伺い、お詫びし、頭を下げ、お許しをいただく。そして「頑張れや」と声をかけていただける。最後に責任をとるのは自分なんだなと。
専務の時は、やはり守られていたんだなぁと気づきました。その頃は何かあったら「社長どうするの」と聞く所がありました。心の中で「社長はあなただから」という甘えや安心感が心のどこかにありましたね。
妻への感謝
24時間365日、僕に付き合ってくれるのは、かみさんだけ。右腕もいるし、社員も頑張ってくれているけれど、休日とか、夜とか、何かあった時に頼れるのはやっぱりかみさん。支えてもらっているなぁという実感があります。家だと何もできないので、かみさんがいないと生活が成り立ちませんし…。しあわせやをスタートした当初、小冊子やガイドブックを作り始める僕を見て、当時社内では何やっているのという感じでした。そんな時、手伝ってくれたのはかみさんでした。
目指すもの
建築屋にとって、会社の成長を示す指標って棟数とか売り上げなどがありますが、当社はすごく“いい会社”にするのが指標です。なにを持って“いい会社”と言えるのかはとても難しいことですが、僕の中で掲げているのは、弊社の社是である“創輪到和”です。意味は「人の繋がり・輪を創り、人の和に到達する」です。
現在は、住宅やリフォーム、お庭を切り口としてやっていますが、その目的が達成できるなら、車屋だって、雑貨屋だって、飲食店だって、保険屋だってなんでもありなんです。けれどスポーツでいうならアウェイなところで仕事はしない。いつもホームなところで仕事をしていきたいですね。僕たちの周りにいるお客様が私たちの仕事に興味を持ち、好意を持ってくれる。そんな人たちが周りにいる、それがホームな状態です。コミニティの繋がりの中で仕事をしていくということは、社員にとっても、お客様にとっても気心知れた人とやりとりができるという安心感があります。
社長の仕事とは
会社の未来を作ることです。我が社は、創業明治43年です。もし自分の代で会社をたたむなんてことになったら、バチがあたると思います。仮に私の代でそのようなことになったら、確実に辞めなければいけないことがあります。それは会社の売り上げのメインである新築事業です。それを辞めたら、人の輪を作りましょう、いいお付き合いを、と言っているのにそれがすべて嘘になってしまいます。だからこそ、続けていかなければならない。成り行きで、しょうがないなと社長になる人なんていないですよね?だから、こんな“いい会社”なら、私が継ぎますよと言ってくれる人がでてくるような会社にしていきたい。喜んで継いでもらえるような“いい会社”にしたい。
こんな“いい会社”なら、私が継ぎますよと言ってくれる人がでてくる、
そんな会社にしていきたい。