リアカーから始まった創業103年の歩み

会社の歴史は大正12年にまで遡ります。初代・鶴田介次郎さんが須坂市で創業し、当時はリアカーでガラスを運びながら施工をしていたと聞いています。ガラスだけでなく、照明機器やガラス食器、金魚鉢なども販売していました。
今日まで続いてきた背景には、戦争を乗り越えられたことが非常に大きかったと感じます。高度経済成長期には全国でたくさんの建物が建てられ、当社も日本の成長とともに拡大できました。バブル崩壊により日本中が苦しい時期もありましたが、長野オリンピックの開催という好機に恵まれ、会社としては軌道に乗り続けることができました。その後は厳しい景気を乗り越えながら事業を縮小した局面もありましたが、ここまで続いてこられたのは、その時代ごとの経営者が適切な判断を重ねてきた結果だと思います。
時代とともに成長してきた現在の長野板販株式会社

現在の当社は、ガラスやサッシの卸売り・施工、さらには住宅設備や看板資材の卸売りをしています。例えば、長野県立大学の校舎のガラスには当社のものが使われています。当時は私も現場に関わっていたので大変でしたが、とても印象に残っています。
従業員数は45名、平均年齢は38歳で、建設業界の中では若い社員が多く活躍している会社だと思います。県内のガラス市場において当社はトップシェアを誇っており、そこが大きな強みです。また、取り扱っている商材の幅広さも特徴ですね。木造の住宅資材などは当社の商材でほとんど揃うので、「何でも売れます」と胸を張って言えます。
サッカー少年から経営者へ。東京で学んだ営業の本質

私は小学校から高校までサッカーを続けていました。今振り返ると、サッカーから学んだことは経営にも活きていると感じます。サッカーは一人で勝てるスポーツではありません。チーム全員が同じ方向を向いて初めて結果が出ます。そのため、チームワークや仲間と協力することの大切さを学びました。また、ポジションはゴールキーパーで、試合全体を見渡す役割がありました。会社経営も全体を見ながら判断することが求められるため、今思うとキーパーをやっていて本当によかったなと思います。高校までサッカーに打ち込んでいた反動もあり、大学時代はよく遊びました。麻雀やアルバイト、友人との時間を全力で楽しみながら学生生活を送り、なんとか卒業することができました。
将来的には家業を継ぐことを中学生の頃から考えていました。しかし、父からは「すぐにうちで働くのではなく、まずは外で経験を積みなさい」と言われていました。そこで入社したのが、同業大手のマテックス株式会社です。父自身も修業時代を過ごした会社であり、私も営業として多くのことを学ばせていただきました。
営業先は街のガラス屋さんでした。扱う商品は他社と大きく変わりません。同じメーカーの商品を扱っているからこそ、最終的には「誰から買うか」が重要になります。そのため、とにかくお客様のもとへ足を運びました。価格だけではなく、人柄や信頼関係で選ばれる。そんな営業の本質を学んだ時間だったと思います。社長になるための修行だと覚悟を決めていたため、どんな経験も前向きに受け止めることができました。マテックス株式会社も、私が将来社長になるからといって特別扱いせず育ててくれたので、当時の上司と会社には本当に感謝しています。
東京から長野へ。社長就任後に取り組んだ改革

7年間東京で働いて、本当はもう1年いるつもりだったんです。しかし、当時長野で大手のガラス工事会社が倒産してしまって。それまで当社では施工をあまり行っていなかったのですが、ガラス工事事業を急遽立ち上げなければならなくなりました。そこで父から声がかかり、長野へ帰ることを決意しました。
帰ってきた当初は、社員の向上心や会社の雰囲気も、正直良いとは言えませんでした。ただ、戻ってきてすぐに改革を始めたわけではありません。まずは自分が結果を出すことで、社員から信頼されることが大切だと思ったからです。
その後、少しずつ会社を変えていきました。まずは組織全体の意識改革です。当時の組織は、例えるならマイナスの状態でした。そのマイナスをまずゼロに戻し、その後少しずつプラスへ変えていくことを目指しました。ただ、いきなり大きな目標を掲げても人は動けません。「小さな改善でもいいから、まずやってみる。失敗しても次に活かす」。そうした積み重ねによって、少しずつ会社の雰囲気が変わっていきました。今ではさらに上を目指せる状況になってきていると感じています。
働きやすい会社を目指して

働きやすい環境づくりにも力を入れています。営業職にはフレックスタイム制度を導入しました。また、SDGsや健康経営にも取り組んでいます。社内には「オフィスで野菜」を導入したり、ジムなど健康づくりに使った費用を会社が補助する制度も始めています。私自身、禁煙をきっかけにマラソンを始めました。健康でなければ良い仕事はできません。会社として成長するだけでなく、社員が長く安心して働ける会社でありたいと考えています。
創業150周年へ。会社を次の世代に繋ぐために

若い社員に期待することは、失敗を恐れず挑戦し続けることです。失敗すること自体は問題ではありません。諦めてしまうことの方が問題だと思っています。高校時代、サッカー部の顧問から「ダメなときは悩んでいても仕方ない。がむしゃらにやるしかない」と言われました。今でもその言葉を大切にしています。
私の目標は、創業150年、会社設立100年を迎えることです。何が起こるかわからない時代ですが、会社を存続させ、次の世代へ繋いでいくことが私の使命だと思っています。


リアカーから始まった長野板販の103年
創業150周年を目指して、次世代へ繋ぐ改革に挑む