前向きな性格
基本的に前向きな性格で、少し落ち込んだとしても「頑張るしかないな。」とすぐに切り替えられます。座右の銘は、「前進あるのみ」。努力することをそれほどいとわない方なので、「コツコツ努力すればいずれ報われるのではないか。」と考えています。
多岐に渡る事業
事業としては、編集と執筆を主に行っていて、観光や食、工芸、日本酒、建築、ワインなどの生活に身近なものが得意分野です。そうした長野県の魅力を紙媒体やWebサイトを通じて伝えたり、イベントの企画運営や企業戦略にも関わったりしています。「1つのテーマについてどのような切り口で集めた情報を整理整頓し、形にするのか。」について考えることが「編集」という作業であると思っています。そのアウトプット先が、紙媒体であるのかWebサイトやイベントであるのかは関係ないと思っていて、基本的な思考回路としてはどれも同じであると捉えて「編集」という作業を日々行っています。
編集室いとぐち の誕生
幼少期から、本を読むことが好きで小説をよく読んでいました。大学院卒業後、出版社に勤めることになりました。どこの出版社も似たようなものだとは思いますが、日常生活がままならない程忙しい日々を送っていました。6年ほど働いて会社を辞める決意をし、ぶらぶらと半年間ほど過ごしていた時、信濃毎日新聞さんから連載の執筆依頼がありました。その記事が掲載されると、「仕事、再開したんだね」と周囲から仕事を頼まれることが増え、「これは独立する流れなのか?」と思い「編集室いとぐち」を誕生させることにしました。
会社勤めの頃は次から次へやってくる仕事をこなす、楽しくも苦しい毎日でしたね。そうした経験も踏まえて独立後は、自分に向いていない仕事に対しては慎重になりました。お客様も得意な人に仕事を任せたいと思いますし、自分も力いっぱい楽しく仕事に向き合えた方が良いじゃないですか。そういった考え方で仕事に向かってきたからこそ、「この仕事はいとぐちさんじゃないと」とおっしゃっていただけることも増え、事務所のカラーも落ち着いてきたように感じています。
原点は公園を造りたい
中学生の時から、「公園を作る人になりたい」と思っていました。その想いから、理数科の高校に進学し、その後、公園を含めた町全体を学ぶために、「都市計画」が学べる大学に進学しました。大学時代には、研究活動の一環で高齢者の方に思い出を尋ね、その思い出に基づいた景観計画のあり方について考えてきました。その研究中に、恩師から「公園などハードを作る仕事もあるが、今ある風景を残すために伝える仕事もある」と言われたんです。その考え方に納得したんですよね。先生の一言が、出版社への就職を決めるきっかけになり、大学入学前と後ではかなり進むべき進路が変わりました。
人の営みを伝えて長野県の風景を残したい
今も、私が働く理由は、長野県の美しい風景を残したいからなんです。その手段が「伝える」という行為です。私が考える「美しい風景」は、自然と共存しながら人の営みから生まれる風景です。例えば、干し柿がある風景も、干し柿を食べる人や柿を干す知恵や風習が存在するからこそ見ることができます。つまり、人の営みという1つの文化を後世に語り継ぎ、引き継ぐことは、地域に根ざした風景を残すことに繋げる上で最も大切なことであると考えています。人の暮らしが地域の風景を成り立たせるものだと考えるからこそ、長野の暮らしに近いことが自ずと専門になっていったのだと思います。
人の繋がりでめぐる仕事
社長といっても個人事業主で小さく運営している事務所です。最初は続けられるのか不安な気持ちもありました。これからもどうなるか分かりませんが、ここまで、携わった仕事をみていただいた方から、また新しい案件をいただくという、人の繋がりで仕事をいただいています。編集室いとぐちには自社媒体はありませんが、そうした繋がりのなかで信頼関係を築きながら、お客様の仕事を通じて自分たちが伝えたいことを発信させていただいているというありがたい状況に恵まれています。本当に、これまでの繋がりに感謝するばかりです。関わった仕事を通じて仕事を頂くことがほとんどだからこそ、これまでの仕事で関わった人との繋がりを全て思い出すことができます。伝えたいことを発信できることが、仕事のやりがいに繋がっていると感じています。
長野県の暮らしの豊かさをより多くの人に伝えながら、様々な媒体を通じて長野の風景を残していく。