林 幸一

株式会社 松本ブルワリー
林 幸一
KOICHIHAYASHI

為せば為る、やればやり遂げられる。故郷松本でこの街の魅力を発信し、魅力を創造していく、情熱あふれる社長。
掲載日2024.8.23

松本ブルワリー 林幸一社長「素晴らしい街である松本に、より多くの人が訪れてくれるように。故郷のため、挑戦を続けていく」【松本市】

為せば為る、やればやり遂げられる。故郷松本でこの街の魅力を発信し、魅力を創造していく、情熱あふれる松本ブルワリーの林幸一社長に、バーテンダーとしての半生や、故郷松本への思いについてお話を伺ってきました。

インタビュアー
楠田 陽子

故郷松本に貢献する方法を探し、それを実行していく
お客様とのエールのやり取りを通じて、人を支え、人に支えてもらえる企業へ

目次

人生を変えたホテルマンとの出会い

小学生から高校、社会人リーグまで、サッカーに情熱を注いでいました。身体が小さかったため、それでも活躍できるスポーツを探していたのです。高校時代は県でも上位の成績を残すことができました。そのころから負けず嫌いでしたね。社会人になってからもサッカーを続けていましたが、あるときの海外旅行でのホテルマンとの出会いが私の人生を変えました。そのホスピタリティに感銘を受け、サッカーをやめ、北海道へ渡ることに決めました。

北海道に行った理由はシンプルで、そのホテルマンに出会ったホテルと同じ系列のものがそこにあったからです。私は思い立ったらすぐ行動に移すタイプで、東京にあったそのホテルの事務所に履歴書だけを持ってアポなしで突撃しました。「どうか御社で働かせてください」と。すると、バーテンダーなら空きがあると言われ、経験も何もありませんでしたが、配属していただくことになりました。当時はバブル期で、戦場のように忙しかったため、とにかくやるんだという気持ちでいましたね。

バーテンダーとしての挑戦!

ホテルで働いていた時に、また大きな出会いがありました。バーテンダーの競技で世界チャンピオンの方にお会いし、キャリアアップを求めてその方の経営する旭川のバーで働かせていただけることになったのです。師匠、先輩、後輩がいて、まさに修行のような日々でした。けれど、私は根性なら負けないという自負がありました。師匠の「志したからには一流を目指しなさい」という言葉に感銘を受け、競技の世界にも飛び込みました。全国大会で優勝し、1997年のロンドンの大会では4位入賞という成績も残しました。

翌年に松本に自分の店を出し、自分の店でもタイトルが欲しいと、さらに競技に挑みました。2000年には全国バーテンダー技能大会で総合優勝し、2001年にスロベニアで行われた世界大会に日本代表として出場しました。本気で世界一を目指して、これ以上はできないくらいに勉強と練習を重ねました。しかし、トラブルもあり優勝を逃してしまい、本当に悔しい思いをしました。どこか心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになり、他に情熱を注げるものは無いかと思案していました。

震災がもたらした故郷松本への思いを胸に

ロンドンの世界大会に参加した際、アイリッシュパブという形態の店に出会いました。このクラシックな雰囲気と気軽に立ち寄れる空気はこれからの時代に必要になるのではと考え、ビールはもちろん建材や内装にもこだわり抜いたアイリッシュパブを長野県としては初めてオープンしました。こうして、バーとパブ、二つの形態の店を松本に出店することになりました。パブは地域の人々にも好評で、順調に営業を続けていました。

そんな時、2011年に東日本大震災が発生しました。私は陸前高田市に飲食店仲間と炊き出しに向かい、そこで衝撃的な街の惨状を目の当たりにしました。これを見て、自分の中で何かがスパンと大きく変わったような気がします。もちろん東北の街の様子には心が痛みましたが、それとは別に「自分の街がもしこうなったら、ものすごく悲しいことだ」と強く思いました。10年ほど県外に出て再び松本に帰ってきて感じたことは、「自然豊かで本当に良いところ」であるということです。それで、故郷に何か貢献できないかと考えるようになりました。

松本のクラフトビールをつくる!

2014年から、まだあまり有名ではないクラフトビールを紹介しようと毎年9月にクラフトビール・フェスティバルを開催しています。第2回目の開催では2万人以上の方が訪れる大盛況となりましたが、ここで一つのピースが足りないと感じました。松本で作ったクラフトビールがなかったのです。それで、ないなら作ってしまおうと決心しました。一緒にこのイベントを立ち上げた実行委員会の福澤崇浩さんと亀原和成さん(のちに松本ブルワリーの役員の方々)はどちらも忙しい身でしたし、私も同様でしたので、やろうと思っているだけでは始まらないと、とにかく会社を作ってしまおうということになりました。そして勝山君という若くてやる気のある素晴らしい醸造家と出会うことができ、株式会社松本ブルワリーが誕生したのです。

はじめ、ビールの醸造は委託していたのですが、それでは安定して安定した量を供給できないことが問題でした。そこで醸造所を作ることにしました。ビール産業は実は装置産業であるため、後発であるからこそ多くの醸造所の視察やブルワー(ビール職人)へのヒアリングは入念に行いました。醸造所を作るにはもちろん大きな投資が必要でしたので、資金の調達も非常に重要でした。そこでエンジェル投資という形で、資金を持っている投資家にベンチャー企業である弊社を応援していただくことにしました。

ありがたいことに、これまで出会ってきたお客様や関係者の皆さまから「林くんのやることなら応援するよ」と多くの方のご支援をいただくことができました。これまでの仕事で築いた信用のおかげだと強く感じています。地域の方々からも応援をいただき、2018年に念願の醸造所を竣工することができました。2023年には醸造設備の増設も行い、順調に運営しております。

人々に支えられる「松ブル」

自分ひとりでできることは少ないので、松本ブルワリーは多くの人々の協力や支えがあって運営されています。醸造所にはもちろん職人であるブルワーが必要ですし、そのブルワーを目指したり、クラフトビールの魅力をお客様に伝えながら販売してくれる素晴らしい若者たちにも出会えました。役員はそんな彼らに線路を創る役割をしていますが、その線路を力強く走ってくれる若者に出会えたことは本当に幸運です。

現在、松本ブルワリーのクラフトビールの8割以上は地元で消費されています。地元の人々や松本にビールを飲みに来てくださる人々に支えられているのです。実は、醸造所が軌道に乗り始めた直後にコロナのパンデミックが重なりましたが、その時もお客様に支えていただきました。人々がお酒を飲み歩かなくなり、県外からの来訪者も減り、売り上げが下がり、出荷されないまま賞味期限が近づくビールが溜まってしまいました。

基本的にビールは適正価格で売り、値引きはしない方針でしたが、やむを得ず値引きをして酒販店で販売してもらうように頼みました。苦肉の策でした。しかし、その値引きされたビールがリリースされると直後に完売となったのです。それは値引きされたからというよりも、「松ブルさんが大変だから」というお客様たちの力によるものでした。「あなたにエールを、地域に潤いを」というのが私たちの経営理念ですが、むしろお客様からエールをいただいたのです。胸が熱くなる思いでした。こうしたことから、お客様との心の通じ合うキャッチボールができていると強く感じています。

人生を楽しむ

これからも私は、素晴らしい街である松本に、多くの人々が訪れてくださるような試みをさらに続けていきたいと思っています。そのためには時間や労力を惜しむこともありません。ずっと支えてくれている妻には「あなたは好きなことをやっていて素敵だね」と言われることもあります。本当にその通りです。

最近は生きづらい世の中になってきていると感じていますし、この世の中で、若者たちは何のために働くのかを問われているように思います。けれど、それは違います。人生を楽しむために、幸せになるために働くのです。人は仕事を通してしか成長できないと考えています。若者たちには、成長し、幸せになるために、前向きな気持ちで働ける場所を見つけてほしいと思います。

林 幸一
林 幸一
KOICHIHAYASHI
1967年長野県生まれ。1998年、メインバーコート開業。2003年パブリックビアハウスオールドロック開業、株式会社ランドサービス創業。2016年、株式会社松本ブルワリー創業。2018年代表取締役社長に就任。
株式会社 松本ブルワリー

〒390-0811 長野県松本市中央3-4-21
TEL:0263-31-008

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本記事のインタビュアー

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