鈴木 雷太

株式会社 ライコン
鈴木 雷太
RAITASUZUKI

コロナ後の困難を乗り越える挑戦と、新たなビジネス展開。松本で自転車愛と情熱を持って事業を拡大する社長。
掲載日2024.11.2

ライコン 鈴木雷太社長「自転車が漕ぎ出さないとどこにも行けないように、何事も始めてみなければ分からない」【松本市】

コロナ後の困難を乗り越える挑戦と、新たなビジネス展開。松本で自転車愛と情熱を持って事業を拡大するライコンの鈴木雷太社長に、選手としての経験や、これから行いたいことなどについてお話を伺ってきました。

インタビュアー
楠田 陽子

コロナ後の困難を乗り越えるための挑戦と新たなビジネス展開
松本で、コミュニケーションを大切にしながら運営していく

目次

不真面目な学生からプロサイクリストへ

学生時代をひと言で表すなら、不真面目な学生でした。勉強は大嫌いでしたが、自転車だけは大好きで、好きなことしかしていなかった。それが今の自分につながっていると思います。

最初は釣りがしたかったんです。愛知県内の各地に自転車で行き、釣りを楽しんでいました。そうしているうちに、次第にサイクリング自体が楽しくなり、競技のことも知りました。中学生の時に中古のロードバイクを買ったら、今までと比べて本当に速く走れることに感動し、それがさらに楽しくなりました。中学の時には、愛知から松本の信州大学に進学していた兄に会いに、自転車で200km以上を走破しました。子どもながら、松本は良い場所だと感じたのを覚えています。

高校に進学してからは、本格的にロードバイクの競技、レースに参加するようになりました。しかし、通っていた高校には自転車部がなく、高校時代の競技成績もそれほど良いものではありませんでした。プロにすぐにはなれないと感じていたので、卒業後は自転車屋に就職しました。働きながらレースに参加し、競技で成績を収めていきました。

日本最大の自転車店で得た貴重な経験

高校卒業後に就職した自転車屋は、日本で一番大きな自転車店で、そこで働いた約3年間は、今に生きる多くの経験を得ることができました。100万円ほどの、当時最も高価な自転車に触れる機会や、販売・修理の仕事を任せていただいたことなどが、その一例です。自転車に囲まれた生活を送り、ここでの経験はまさに今の自分に直結しています。

オランダでの転機と松本で自転車に乗ること

オランダに3か月ホームステイをする機会があり、その際の滞在先が自転車のナショナルチームのコーチの家でした。その時に、自転車競技をやるならマウンテンバイクが向いているという助言をいただき、マウンテンバイクに転向することを決めました。松本に住みはじめたのは、オランダから帰国した後からです。松本を選んだ理由は二つあり、ひとつは松本の素晴らしさを知っていたこと、もうひとつは所属していたマウンテンバイクのチームの母体が松本にあったことです。それ以来、愛知には戻っていません。

松本でのサイクリングは非常に魅力的なんですよ。最近は夏になると暑い日もありますが、それでも夕方以降は涼しくなり、冬も雪はあまり積もりません。坂が多いことも魅力の一つです。確かに坂を登るのは大変ですが、その分登りきった後の達成感がありますし、素晴らしい景観が広がっています。また、下りの爽快感も格別です。さらに、街中には平坦な場所もあり、坂と平らな場所のバリエーションが魅力的です。松本はサイクリストたちにとって、一度は訪れてみたい場所であり、都会からサイクリングを楽しむために松本を訪れる人々も少なくありません。それだけ、この場所には魅力が詰まっています。

浅間温泉から始まった自転車店の挑戦

最初に出店したのは、今の場所ではなく浅間温泉でした。選手生活を終えて店を立ち上げたとき、社会人としての経験がなく、社会にどう貢献するかも分からず、自転車以外はすべて初めてのことで本当に苦労しましたね。しかし、どこかに就職して組織で与えられた役割を果たすよりも、自分で会社を立ち上げて、自分の好きなようにやる方が向いていると感じていました。だから自分でお店を立ち上げたんです。今でも、その考えは変わりません。

従業員は、最初はほぼ一人で、パートタイムのスタッフが数名いる程度でした。次第に規模が大きくなるにつれて、若いスタッフも働くようになりました。店長は選手時代に一緒に練習していた仲間です。この仕事は趣味の要素が強いため、求人を出すよりも人づてにスタッフが集まることが多いです。自転車に情熱を持ち、東京から働きに来たスタッフもいます。それくらいの情熱がないと、本当に自転車が好きでなければ続けられない仕事だと思います。従業員は店にあるすべての自転車を知っていなければなりません。お客様は欲しい自転車をよく調べてから来店されるので、私たちもそれに応えるために全ての自転車を把握しておく必要があるんです。この仕事は難しく特殊ですが、それでも、好きであれば楽しいと感じるはずです。とはいえ、好きなことを仕事にできるのは良いことだと言われることもありますが、うまくいかないときは倍苦しかったりもします。

広さとこだわりで実現した理想の自転車店

浅間から現在の場所に移転した理由は、より広いスペースでお店を開きたかったからです。自転車屋を開く際に少し懸念していたのは、「あ、チャリ屋か」と思われることでした。町の自転車屋といえば、パンク修理をしてくれるような、あの自転車屋さんのイメージが強いかもしれませんが、100万円を超える自転車を扱うにあたっては、そのイメージでは不十分だと思ったんです。海外で見てきた自転車店は、そうした「チャリ屋」のイメージとは異なった、高級感のある者でした。そういったものを見てきた経験を生かし、現在の店の内装には特にこだわりました。

売上低迷を乗り越え、新たに挑戦したストレッチ店

好きなことをやっているからこそ大変な時もあると話しましたが、まさに今がその時期です。コロナ禍ではアウトドア需要が伸びましたが、収束してからは売り上げが低迷しています。自転車は買い取り販売をしているのですが、売れないとお金が入らず、自転車だけが在庫として積み上がってしまう状況に陥ります。現在、まさにその状況に直面しています。

そんな中で、自転車とは異なる、在庫を持たないビジネスを始めたいと思い、はじめたのがストレッチ店です。はじめてからもうすぐ3年になりますね。都会にはストレッチ店が多いですが、長野県内ではまだ少なく、自分の体験からもこれは需要があると強く感じました。現在は徐々にお客さんが増えてきており、今後さらに成長するはずだと考えています。

ずっとかかわってきた自転車とは異なり、ストレッチ店は今まで行ったことのないまったく新しい事業でした。新しいことを始めるのは大変ですが、何よりも大切なのは「とりあえずやってみる」という姿勢だと思っています。自転車が漕ぎ出さないとどこにも行けないように、何事も始めてみなければ結果なんて分かりません。やってみて、その反応を見てから考えることが大事です。失敗したくはないですが、やってみてマイナスが出ることもあります。ただ、生活さえ破綻しなければ大抵は大丈夫ですし、そんなことはほとんどないので、とにかくやってみることが重要だと考えています。

コミュニケーション重視の経営戦略

さっきも話したように今が一番難しい時期だと感じています。コロナ禍でのアウトドア需要が伸びたことと、その後の落ち着きとのギャップに苦しんでいます。だからこそ、お客様との関わりを密にし、物販に依存しない新たな存続の形を模索していきたいと考えています。その一例がストレッチ店の運営です。

ストレッチ店も自転車店も、従業員にお客様がつく商売ですので、コミュニケーションを大切にしながら運営していきたいと思っています。

新しい文化との出会いが価値観を広げる

若いうちに、ぜひ旅に出てほしいと思っています。時間と体力があるうちに、どこでもいいので、自分の知っている場所とは全く違う場所に行き、新しい文化に触れて、自分の価値を見つめ直してほしいです。文化はどんなものであっても構いません。行くことで何かを感じ、たくさんの疑問を持って、別の文化を知ることができるはずです。国内の旅も良いですが、海外もおすすめです。国際化がここ数年でさらに進む中で、先に海外を見て、日本を外から眺めることは非常に大切だと思います。

鈴木 雷太
鈴木 雷太
RAITASUZUKI
1972年愛知県岡崎市生まれ。愛知県立岡崎商業高等学校卒業。1996年より2007年まで、プロマウンテンバイク選手(ブリヂストン株式会社と契約)。2000年シドニー五輪日本代表。2007年株式会社ライコンを設立、BIKE RANCHオープン。代表取締役社長に就任。2012年、ロンドン五輪マウンテンバイク日本代表コーチ。2016年、リオ五輪マウンテンバイク日本代表監督。2020年、東京五輪マウンテンバイク日本代表監督。
株式会社 ライコン

住所:〒390-0865

長野県松本市新橋 6-16 LIFE STYLE MARKET内

TEL:0263-50-6884

サービス業 中信 創業10年以上 創業者 地域密着型 売上1億円以上 最先端技術 社員数10人未満 若手活躍 50代社長

本記事のインタビュアー

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