新しい概念で人が集まる場所を創る
社名の「NEW CONCEPT」は、新しい概念があれば良いと考えて名付けました。「RESORT」は、一般的にイメージされるリゾート地のことではなく、人が集まる場所を新たに定義したものです。僕は、人が自然と集まる場所を作りたいと考えています。その場所が、既存のものではなく、新しい概念を持っていることが理想です。
酒販店から居酒屋への変革
もともと父が酒販店を営んでおり、僕自身も学生時代に店を手伝っていました。社会人になってからは旅行会社に3年間勤務し、その後、父の会社を継ぐことにしました。当時の事業は酒販店の経営で、街の居酒屋へ酒を卸す仕事が中心でした。
昔は酒屋が法律で守られていましたが、ちょうど僕が入社したころに規制が緩和され、酒を安売りする店が次々と現れました。今ではコンビニやスーパーでも酒が手に入りますが、昔は街の酒屋が唯一の酒の販売拠点だったんですよ。しかし、規制緩和の影響で競合が増え、このままでは経営が立ち行かなくなると感じました。そこで、酒販店の枠を超え、居酒屋業態を行うことを考えたのです。
当時、酒販店が居酒屋を経営することはタブーとされていました。だからこそ、この挑戦は一種の革命だったとも言えますね。店を始めたことは他の店から非難され、父からも大激怒されました。また、開業後にこれまでの大きな取引先を失うことにもなりました。それでも挑戦を続けたのは、酒の値段を叩かれ、利益が出ない状況がずっと続けば、経営が成り立たないと考えたからです。そのうえ、酒を安く仕入れたいオーナーに何度も頭を下げ、代金を払ってもらうために長時間待たされることもあり、こうした状況に限界を感じていました。街の酒屋は次々と姿を消していきます。僕もこのままではだめだと痛感したのです。
実際のところ、僕はこれをタブーとは思っていませんでした。むしろ、やりたいこと、そしてやるべきことだ、と。経営的な理由も、もちろんありました。けれどそれ以上に、酒販店の家で育った僕はもともと酒が大好きで、配達を通じて多くの飲食店の現場を見てきたんです。その経験から、ただ酒を提供するだけでなく、「もっと美味しく飲んでもらえる方法がある」と思うようになったのです。だからこそ、酒の美味しさを伝えたいという想いは強く、今の居酒屋業態を始める大きな原動力になりました。
新店舗を立ち上げる挑戦
居酒屋を始めたころは、さまざまな波風がありました。先ほどお話した通りですね。けれどそれは、お客様には関係のないことでもありました。最初の店舗は、もとの酒販店の半分を改装して始めました。特に一軒目では「質」と「安さ」に徹底的にこだわり、どこの店よりも安くビールを提供できたと自負しています。
料理の経験はありませんでしたが、自分なりに勉強しながら提供しました。そして、3軒目や4軒目を開くまでは、自らカウンターに立ち、現場で働き続けていました。そのころは本当に忙しく、休む間もなく動き回っていたことを覚えています。
コロナ禍のピンチをチャンスに変える
店と会社を立ち上げてから最大のピンチは、やはりコロナウイルスの影響でした。本当に大変で、「死ぬかもしれない」とさえ思ったほどです。店を閉めて補償を受けられた期間はごく短く、それ以外は営業せざるを得ませんでした。けれど、僕たちの店は飲食業なので、営業してもお客様が来ず、とても苦しい状況が続きました。
幸いなことに、銀行との関係が良好だったため、今まで借りたことのない金額を借りて、どうにか生き延びる道を模索しました。コロナ禍は、本当に「もう二度と来てほしくない」と思うほどの大ピンチでしたが、実はピンチだけでは終わりませんでした。
現在、長野駅前で営業している2店舗の物件は、コロナの最中に獲得したものです。コロナの影響で、なんと長野駅前に空き物件が出たんです。本来であれば、あのような好立地の物件はすぐに大手チェーンに押さえられるのですが、コロナの影響で大手の動きも鈍く、僕のところにまで話が回ってきたのです。実は、コロナ渦が始まる5、6年前から、あのエリアで人脈を駆使して物件を探していましたが、なかなか話が出てこなかった場所でした。それが、あの大ピンチの最中、手に入るチャンスが訪れたのです。
出店するかどうかは大いに悩みました。今までずっと、喉から出るほど欲しかった物件。それが、今なら手に入る。借金は今借りているよりもずっと多くなるし、コロナの真っただ中では、店を出してもお客様が来ないかもしれない。そんなことを考えて、それでも僕は「勝負しよう」と決意しました。好立地ゆえに家賃も高く、投資額も大きくなるため、銀行からの融資を得るために資料を準備し、説明や説得を重ね、ついに勝負に出ました。
迷いもありましたが、僕にとっては「必然」でもありました。コロナによって莫大な運転資金が必要となり、借金を返済するには今のままでは限界があったからです。だからこそ、長野駅前の物件で勝負をかけました。そして、その決断のおかげで、コロナ明けから1年の猶予で借金の返済を始めることができたのです。
下町の古典酒場を目指したゴールデン酒場の挑戦
僕たちの店は「ゴールデン」という名称をブランドとして展開しています。また、居酒屋ではなく「酒場」を作りたかったので「ゴールデン酒場」と名付けました。僕は、居酒屋と酒場は異なるものだと考えています。
酒場といえば、東京の下町に戦後すぐから存在するような古典的な酒場を思い浮かべます。常連さんが集まり、地域に根差し、昼間から営業して賑わっている場所です。そうした酒場は、居酒屋文化が生まれる前からあったもので、僕たちはそのような酒場を目指しています。
その思いをさらに形にしたのが、食堂と居酒屋の要素を融合させた「ゴールデン新館」です。伝統的な酒場の雰囲気を大切にしながらも、現代のお客様にも楽しんでいただける空間を提供しています。
リゾート革命で全国制覇を目指す
僕は会社を立ち上げたばかりで、従業員が2人しかいなかったころから、ずっと「リゾート革命を起こすぞ!」と言い続けてきました。社員や従業員、そして自分自身を鼓舞するためには、このような力強い言葉が効果的だと感じたからです。「革命を起こすぞ!」「狼煙をあげろ!」のようなフレーズは、強く人を惹き惹つける響きがあり、やる気を引き出してくれますよね。やっぱり、人は大きなことを成し遂げそうな人にこそついていきたくなるものだと思います。
「全国制覇するぞ!」とも常々言ってきました。今では長野県内に多くの店舗を展開していますが、来年には東京・月島への出店も決まっています。この実現には息子が大いに力を発揮してくれました。もしかすると、僕の夢である全国制覇は、いずれ息子が引き継いで叶えてくれるかもしれませんね。
東京進出と新業態への挑戦
全国展開、特にまずは東京への出店を進めると同時に、県内では新しい業態にも挑戦したいと考えています。昔は食堂も経営していましたが、現在はほとんどが酒場になっています。食堂という名称だと昼間しかお客様が来ていただけないため、今は食堂と酒場を融合させた複合的な形態になっているんです。実は定食メニューも提供しているんですよ。昼も夜も、お客様に楽しんでいただけるよう工夫しています。
新しい業態として、特に、焼肉店に挑戦してみたいと考えています。今は焼肉業界が厳しい状況にありますが、だからこそ逆にチャンスがあると感じています。そして、東京に関しては、いつか銀座に店を出してみたいという夢もあります。「銀座ゴールデン」、名前からしてかっこいいと思いませんか?
若者たちへのメッセージ
僕は学生時代、ほとんど勉強もせず、遊び歩いていました。実家が酒販店だったこともあり、昔から酒が大好きで、さまざまな店を巡っては「こんなにうまい酒があるのか」と感動したりして。そうした経験があるからこそ、今の学生や若者たちにも「遊ぶことの大切さ」を伝えたいと思っています。
実際に歩き回って、いろいろな場所を訪れ、体験することが重要です。大人になれば、お金持ちの世界なんて嫌でも目にするようになります。だからこそ、若いうちはもっと下の階層、つまり消費を支える現場を歩き回るべきだと考えています。そうすることで、人々が何を求めているのかが見えてきて、「これがやりたい」「こうすれば儲かる」といったビジネスのヒントが見つかるかもしれません。
遊んで、さまざまなものを見て、経験を積むことが何より大事だと僕は思います。
酒販店から酒場へ挑戦しリゾート革命を掲げる
ピンチをチャンスに変え、全国展開を目指し、東京・銀座進出への夢を描く