株式会社ユリーカの進化と2代目社長の旅
株式会社ユリーカは、1981年に創業された塩尻市に本社を構えるシステム開発会社です。2013年に、私は父からこの会社を継承し、2代目社長に就任しました。大学生時代には、IT業界に就職することは想定しておらず、文学部を卒業しました。しかし、就職活動を行った際、当時の就職市場は非常に厳しく、IT業界以外に選択肢がほとんどありませんでした。私が就職した当時は、パソコンを所有している人が少なく、基本的な操作方法さえ知らない時代でした。そのため、パソコンの電源の入れ方から学び始めることになりました。
初めは不安もありましたが、仕事を通じて学びを深めるうちに、IT業界が自分に適していると感じるようになりました。ITの世界は一見無機質で柔軟性に欠けるように思えますが、実際にはクリエイティビティを発揮できる余地がたくさんあります。同じ機能を持つシステムを開発する際でも、プログラマーによってコーディングのアプローチは異なり、それぞれの個性やセンスを表現できるのです。大学時代にはバンド活動にも打ち込んでおり、私は創作活動に情熱を注いできました。IT業界での経験を通じて、学びを深めるほどに、自己の表現に活かせること、そしてクリエイティブな作業に没頭できることを発見しました。
新時代のビジネスモデルと若い才能の力
株式会社ユリーカの2代目社長として、私は会社の方針を大きく転換し、新しい時代の経営戦略を採用しています。長野に戻る前、私はベイカレント・コンサルティングというベンチャー企業で、エンジニアリングと管理業務を経験しました。当時は急速な成長と拡大戦略を追求していましたが、経済の成長を前提とする価値観は、今となっては過去のものです。少子高齢化の進行と実質賃金の低下により、右肩上がりの経済成長は現実的ではなくなりました。大学時代のバックパッカー経験から、物価の視点で見た国際的な比較意識を持ち、現在の経営に活かしています。
ユリーカでは、従来のITビジネスモデルを超えた新しいアプローチを採用しています。これまでのビジネスでは、顧客の要望に基づくシステム開発が主流でしたが、今では賃金の低い地域でも高品質なシステムが提供される時代です。このような環境下では、単に顧客の要求を満たすだけではなく、未だ存在しない価値あるサービスを創造し、提案することが求められます。私たちは、多様で革新的な事業に挑戦することを会社の基本理念としています。
この新しいビジネス戦略を実現するためには、既成概念に囚われない新しい価値観が必要です。そのため、2021年には経営企画室を新設し、新卒の若手人材が新規サービスの企画に携わっています。これは、新しい時代に適応し、持続可能な成長を目指すユリーカの決意を表しています。
失敗を恐れず挑戦を続ける次世代経営者の育成プログラム
経営企画室では、毎月新しいサービスのリリースを目標に、絶えず新たな挑戦を推進しています。多くの試みが、必然的に失敗を伴うこともありますが、ユリーカではこれを貴重な学習機会と捉えています。一般的に企業文化では失敗を避ける傾向にありますが、ユリーカの経営企画室では、若手社員が失敗から学び、成功への道を探る試行錯誤の場を提供しています。このプロセスを通じて、次世代の経営者を育成するという私たちのビジョンを実現しています。
起業への道は、失敗を恐れずに踏み出す勇気が必要です。経営企画室での経験を通じて、参加者がユリーカで学んだ知識とスキルを活かし、長野から新たなベンチャー企業を立ち上げ、未来のリーダーとして成長することを期待しています。ユリーカの卒業生が、社会に貢献し、幸福をもたらす経営者として認識される日が来れば、これ以上の誇りはありません。
多様性と包括性を重んじる企業文化
株式会社ユリーカでは、学歴や出身背景を重視することなく、共有される価値観と企業文化のフィットを最も大切にしています。文系卒の社長として、私は多様なバックグラウンドを持つ人材の採用を推進しています。ユリーカでは、未経験者でも表現者として多くの可能性を秘めたIT専門家に成長できるよう、外部の専門家による教育プログラムと、先輩社員による実践的な指導を提供しています。
また、ユリーカは障がい者雇用にも積極的に取り組んでおり、IT事業の特性を生かした働き方を実現しています。コミュニケーションの多くがテキストベースで行われるため、聴覚障がいのある社員も問題なくチームの一員として活躍できます。当社では、障がいの有無に関わらず、全ての社員が能力に応じて公平な賃金を得られるような環境作りを目指しています。さらに、障がい者だけでなく高齢者も含め、表現者として能力を発揮できる場を提供することで、より多様で包括的な職場を実現したいと考えています。
旅から学ぶ創造力と対応力
私が大切にしているのは、旅を通じて得られる学びと経験です。旅に出ることで、新しい人々に出会い、未知の場所を探索し、予期せぬ出来事に直面することがあります。これらの経験は、私たちが日常では得られない豊かな知見と創造力を育みます。
最近の旅では、息子とともに東京から名古屋まで各駅停車を利用し、6時間の旅をしました。新幹線では出会えない地元の方々や、途中で気になった建物を訪れることができるなど、旅の醍醐味を存分に味わうことができました。学生時代には日本一周のヒッチハイクや、海外でのバックパッキングを経験し、その中で生じたトラブルに対応する力を身につけました。これらの経験は、IT業界で働く上で必要な創造性や対応力の源泉となっています。
私は、経営企画室の若手スタッフにも、コロナ禍を経て変化した世界を自らの目で見て、体験してほしいと伝えています。旅は、インターネット上の情報だけでは得られない、貴重な学びを提供してくれます。また、学生の皆さんにも、日常とは異なる道を選んでみるなどの小さな旅を通じて、新たな発見をしてほしいと願っています。
世界規模のサービスを長野から
長野県は、県民自身が認識している以上に、国内外から高い関心を集めています。海外の訪問者にとっては、オリンピックの開催地としての印象が強く、国内では移住先としての魅力でランキングの上位に位置しています。地域の特性を活かした事業展開がしやすい環境も、経営企画室の取り組みに対する支援の声が多く寄せられる要因です。長野県民のものづくりに対する粘り強い姿勢と、東京へのアクセスの良さは、地域の大きな強みとなっています。私たちは、長野県独自の強みを生かし、世界市場で競争できる製品やサービスの開発を目指しています。Google マップやアマゾンのように、使用者が会社の所在地を意識せずに利用するサービスを長野から世界へ提供することは十分可能です。私の父もITの初期段階で多くのサービスを創出しようと試みましたが、スマートフォンが登場した際には、類似のアイデアを実現できなかったことを残念に思っていました。私は父から受け継いだ、長野から世界に通じる製品を創るという夢を、実現したいと思っています。これは遠い夢ではなく、実現可能な目標です。
座右の銘は時と状況によって変わるものですが、「あなたが見たいと思うこの世の変化にあなた自身がなりなさい」というマハトマ・ガンジーの言葉を今日は選びます。このシンプルながら深い意味を持つ言葉が、私たちの行動の指針となっています。
長野ならではの強みを意識し、塩尻市発で世界を目指す
文系卒の社長によるユリーカの挑戦と進化