岡澤 雄

エグゼクティブツアー 株式会社
岡澤 雄
YUOKAZAWA

人とのつながりを大切にし、旅行と食の価値を追求する。営業の経験を生かし挑戦を続ける社長。
掲載日2025.7.22

エグゼクティブツアー 岡澤雄社長「旅行業は人を幸せにする素晴らしい仕事である」【松本市】

人とのつながりを大切にし、旅行と食の価値を追求する。営業の経験を生かし挑戦を続けるエグゼクティブツアーの岡澤雄社長に、旅行業を志した際のお話や、コロナ禍の時のお話などを伺ってきました。

インタビュアー
楠田 陽子

己を忘れて他を利する
人とのつながりが成功の鍵と実感しさらなる高みを目指す

目次

引っ越しバイトを経て旅行業界へ

私は長野県ではなく、埼玉県生まれの栃木県育ちです。特に栃木で過ごした時間が長く、大学も宇都宮大学に通い林学を学びました。当初は自然保護の仕事を志し、大学に進学していました。しかし、愛車のために多くのアルバイトを経験し、社会勉強をしていく中で次第に考えが変わっていきました。特に印象に残っているのは、長期休みに取り組んだ引っ越しのアルバイトです。人と話すことが楽しく、次第にサービス業のように人と関わりながら働く仕事に魅力を感じるようになりました。

就職活動ではさまざまな業種を検討する中で、夢がより具体的になりました。それは、旅行の添乗員になること。多くの企業を見ましたが、最終的に就職面接を受けたのは旅行会社とアパレル業界からそれぞれ1社ずつ、あわせて2社のみでした。当時、旅行業界のトップはJTB、2番手が近畿日本ツーリスト(近ツー)。私は「2番手から1番手を追い越したい」という思いを抱き、近畿日本ツーリストの面接を受けることにしました。旅行業界では複数の会社を併願するのが一般的でしたが、私はどうしても近ツーに入りたかったので「旅行会社は御社しか受けません!」と伝えました。その言葉に面接官は感動してくださいましたね。「そんなことを言う学生はほかにいない」と。その結果、通常の採用プロセスの一部を飛ばし、特別にその面接1回と試験のみで内定をいただきました。こうして私は、旅行業界への第一歩を踏み出したのです。

未知の土地で営業に挑む!

東京で採用が決まり近畿日本ツーリストに就職した際、配属希望を尋ねられました。そこで私は地元である埼玉と栃木以外を希望しました。地元にいると甘えが出てしまうかもしれないと思ったからです。その結果、長野県の上田市に配属されることになりました。当時の私は上田という地名すら知らず、「真田幸村」と聞いてようやく少しイメージがわく程度の、本当に未知の土地でした。しかし、私はだからこそやりがいを感じたのです。上田に着任し、「ようやく添乗員として働ける!」とワクワクしていた私に課されたのは、まずは営業の仕事でした。入社時はその仕組みを理解していなかったのですが、団体旅行や職場旅行の契約を取ることで、初めて添乗員としての仕事ができるということだったのです。正直なところ「そんな話は聞いていない!」と思いましたが、とはいえ、それ以上にやる気が湧きました。飛び込み営業でさまざまな場所を巡り、仕事を取ってくれば添乗のチャンスが得られる。その挑戦に燃えました。上田、そして後に配属された松本の人々は、やや排他的な一面もありましたが、一度気に入った相手にはとことん親身になってくれる義理人情に厚い人たちでした。そんな方々との出会いを通じて、私は営業の仕事も大好きになりました。

挫折を乗り越え独立へ進んだ決断

上田に11年、松本に2年半配属された後、私は東京の大きな支店で3年ほど働いていました。しかし、東京での営業がようやく楽しくなってきた矢先、再び松本に戻されることになり、大きくモチベーションが下がってしまいました。東京と地方都市では扱う旅行の規模が大きく異なります。東京でも結果を出していたにもかかわらず異動になったことに納得できなかったのです。この状況の中で、若いころ私を育ててくれた師匠との衝突も増えてしまいました。私は「上には厳しく、下には優しく」というスタンスを貫いていましたが、最終的に近畿日本ツーリストを去ることになってしまいました。誰よりもこの会社を愛し、成果を上げてきた自信があったため、当時は大きなショックを受けました。しかし、この出来事がきっかけで、今の素晴らしい会社を立ち上げることができたのです。

職を失い、転職するか独立するか悩んだ時、支えとなったのはこれまでお世話になってきたお客様でした。相談を持ちかけると、近ツーのような大きな看板がなくても「何もなくても、岡ちゃんを応援するよ」と言ってくださる方が多くいました。大企業の看板がないのは大きなハンデでしたが、“岡澤”という個人のブランドを応援してくれる人が100人以上もいたのです。その支えがあったからこそ、今の自分があります。

仲間の支えで実現したゼロからの独立

多くの方に背中を押してもらえたおかげで独立を決意したのは良かったのですが、現実的には、ほぼ一文無しの状態からのスタートでした。それでも、当時の私は「会社を興すのは簡単だ」と考えていました。実際、書類上で会社を設立するだけなら1円からでも可能です。しかし、旅行業の会社として活動するとなると話は別でした。旅行業を営むには「旅行業登録」が必要で、そのために県へ最低でも200〜300万円を支払う必要があったのです。私はこの事実を知らなかったのですが、それを知り、とにかく銀行から借りようとしました。しかし、旅行業登録のない会社では融資が受けられないとも言われてしまいました。そこで頼ったのが、私の経営者仲間です。7人ほどに資金を貸してほしいと相談したところ、保険を解約して支援してくださる方や、一度に200万円を貸してくださる方もおり、結果として800万円が集まりました。このおかげで旅行業の認可が下り、銀行からも融資を受けられるようになり、翌月にはすべての借金を返済することができました。資金を貸してくれた友人たちは、本当に大きな決断をしてくれました。こうした友人たちの存在は、今でも私にとってかけがえのない宝物です。

JTBとの提携で築いた独自の旅行ビジネス

会社を立ち上げる際、やはり何かしらの看板が欲しいと考えました。その時最初に声をかけたのは近畿日本ツーリストでしたが、当然ながら断られてしまいました。辞めた会社に声をかけるなんて、周囲からは「そんなに近ツーが好きなのか」と呆れられましたね。そこで、JTBに打診したところ、審査は非常に厳しいと聞いていましたが、私のこれまでの実績を調査してくれたようで、破格の条件で代理店として認めていただくことができました。かつて追い抜こうと目標にしていた相手が、今では一緒に仕事をするパートナーになったのです。

こうして私の会社にもJTBの設備を導入しました。JTBのシステムのホテルの客室の仕入れは日本一を誇り、それを提供するために私やスタッフもJTBのマニュアルを学び、徹底的に理解しました。その結果、すぐに成果を出すことができ、中信地区の基盤にしたいと言われるほど良好な関係を築いています。現在、私たちはJTBの旅行プランを基軸にしながら、団体旅行や個人旅行を扱い、さらに得意分野を活かしたオーダーメイドの旅行プランを提供するという2本立てのスタイルを強みにしています。

満足度を追求した食にこだわる旅行プラン

私たちの旅行プランでは、もちろん価格も重要ですが、それ以上に「多少高くても満足度の高い旅行」を提供することにこだわっています。コストパフォーマンスを重視するなら、JTBが提供する一般的なプランで十分です。しかし、私たちはそれよりもさらに”満足度”を追求した旅行を目指しています。では、何が満足度につながるのか。それは「美味しい食事」だと考えています。美味しいものを食べると、人は自然と幸せな気持ちになるものです。だからこそ、私は食事にこだわり、添乗中やプライベート、下見の時間を活用して全国各地の美味しい食を開拓してきました。その結果、全国各地に「美味しいものの引き出し」があり、この数は他社には絶対に負けません。これは、時間と手間を惜しまず積み重ねてきた私たちのこだわりです。

だからこそ、旅行プランを立てる際には食事の計画に最も時間をかけます。久しぶりに訪れる場所なら、事前に下見をして新たな食事処を探します。それだけではありません。お客様に提供するメニューも、私たちが厳選します。本当に美味しいものを味わっていただきたいからです。時には、お店の方に提案を嫌がられることもありますが、何度も足を運び、お客様を連れていくうちに、次第に信頼を得られることがほとんどです。こうした積極的なコミュニケーションを通じて、お客様の幸せを創り出しています。さらに、オーダーメイドの旅行プランを提供できることも私たちの強みです。お客様のニーズに合わせ、最適な旅行を提案し、特別な体験を提供していきます。

営業を愛し現場に立ち続ける社長の信念

私は営業という仕事が大好きです。かつて甘ちゃんだった自分が一人前になれたのは、営業という仕事と、その中で出会ったお客様のおかげです。お客様と関わる中で叱られたり、アドバイスをいただいたりしながら、学びを積み重ねて、ブラッシュアップして、今の自分があります。先輩からの指導ももちろん大切ですが、それ以上に私は、お客様との関わりの中で多くのことを学んできました。マナーや、お客様に喜んでいただくための工夫、さらには仕事の極意まで。本当に数えきれないほどたくさんのことを教えてもらいました。だからこそ、どんな状況になっても営業という仕事を続けていきたいと強く思っています。

社長となった今も、私は自ら現場に出て、誰よりも働き汗を流すプレイングマネージャーのスタイルを貫いています。常に現役で、現場に全力投球したいのです。確かに、現場に出ない社長と比べると効率が悪くなるかもしれません。しかし、現場に立ち続けることで社員たちを引っ張っていけると考えています。誰よりも働き、誰よりも知恵を絞ってこそ社長。私はそう信じて、これからも現場に立ち続けます。

コロナ禍の苦境を乗り越え再生した旅行会社

コロナ禍の時期は、人生で1位か2位を争うほどの地獄の日々でした。今振り返っても、よくこの会社が存続できたと思います。多くの企業の売上が7~8割になったと聞きますが、私たちの会社は6~7割の売上減に直面しました。売り上げで言うなら、3割~4割になってしまったということです。あの時期は、旅行自体が「悪」とされていました。売上が激減しても、人件費をはじめとする支出は変わりません。そのうえ、銀行からも1,000万円を借りた後は融資を受けられなくなりました。社長として、「万が一会社が倒れても、また一から立ち上げよう」と考えていましたが、それでも何度か、生きる希望を見失いかけるほど追い詰められました。

そんな状況の中で始めたのが「お取り寄せ」事業でした。食にこだわってきた私たちは、全国の美味しいものを熟知していたため、その知識を活かしました。3枚綴りの情報チラシを作成し、冷凍庫を導入して各地の名産品を集め、お客様にDMを送りました。すると、ありがたいことに多くの注文をいただき、2年半で2,000万〜3,000万円の売上を記録。新たな会社の柱となりました。現在は旅行業が復活し、片手間で続けられる事業ではないためお取り寄せは停止しましたが、今振り返れば貴重な経験でした。スタッフたちも仕事がなく手持ち無沙汰になるのではなく、一生懸命働ける場があったのは良かったと思います。

こうして再び旅行業が活気を取り戻したことは、私にとって奇跡のように感じます。それでも、苦境の中で気づいたことも多くありました。スタッフが働いてくれることは決して当たり前ではないこと、お客様の声がどれほどありがたいものか、そしてチームワークの大切さ。さらに、コロナ禍を経て「旅行業は人を幸せにする素晴らしい仕事だ」と確信しました。同時に、会社にあった無駄を省き、再生する機会にもなりました。あの地獄を経験したからこそ、今の幸せを心から感じられるのです。

営業の経験を活かし講師として伝える喜び

これからは、これまでの営業やコミュニケーション、接客の経験を活かし、講師業にも力を入れていきたいと考えています。私自身、多くの失敗を重ねながら学び、やがてうまくいくようになった経験があります。その知識やノウハウを、できるだけ分かりやすく皆さんに伝えていきたいのです。現在も年に1〜2回ほど講演を依頼されることがあり、そこで話をさせていただいています。特に嬉しいのは、旅行業とは直接関係のない場でも評価していただけることです。実際に、私が1時間の講演を行った後、雰囲気の悪かった店舗の様子が変わったと報告をいただいたこともあります。人として生きていく中で、こうした変化をもたらせることは、商人として本当に嬉しい瞬間です。私は、旅行業も含め、「人に喜んでもらうこと」を人生の軸にしています。講師業はその延長線上にあり、今後も多くの人に価値ある経験を伝えていきたいと考えています。

己を忘れて他を利する

普段、会社で話をするときには「一事が万事」という言葉を大切にしています。お客様は一つの出来事から多くを察するものです。そのため、立ち振る舞いを含めた細かな部分にも常に気を配らなければなりません。しかし、私個人の座右の銘を考えるなら、思い浮かぶのは近畿日本ツーリストに勤めていた頃、とてもお世話になった比叡山延暦寺の輪番の方の言葉です。私が団体客を連れて訪れるたび、特別に非公開エリアまで案内していただき、必ずお話をしていただきました。その言葉は、今でも私にとって宝のような教えです。

「忘己利他」——己を忘れ、他を利すること。

今の時代はどうしても自分のことばかりを考えてしまいがちですが、そんな中でも、一度自分のことを置いて、他の人のために全力を尽くす。これこそが、昔から変わらない私のスタイルです。

若者へのメッセージ:現場でこそ学べる経験の大切さ

ネットが中心となった今の社会は、確かに便利になりました。しかし、その一方で大切なものが省かれているように感じます。それはおそらく、「心」や「手間暇」といったものです。手間をかけ、心を込めるからこそ、料理も人間関係もより良くなるものです。今は「面倒だから」と人と直接会わず、ネットで完結することが増えました。その影響もあり、学生のコミュニケーション能力が低下しているとも言われています。しかし、どれだけネットが発達しても、世の中の多くは「人と人」で成り立っています。だからこそ、現場に出て、そこで学ぶことが大切なのです。私は「人は現場でこそ育つ」と考えています。現場での学びは、本には載っていない生きた勉強です。知識ばかり詰め込んでも、それだけでは頭でっかちになるだけで、実際に行動しなければ何もわかりませんし、変わることもできません。だからこそ、現場に出て経験を積むことが何よりも重要だと思っています。

岡澤 雄
岡澤 雄
YUOKAZAWA
1969年埼玉県生まれ。宇都宮大学農学部林学科卒業。近畿日本ツーリスト株式会社勤務。2010年、エグゼクティブツアー株式会社を設立、代表取締役社長に就任。
エグゼクティブツアー 株式会社

住所:〒390-0827
   長野県松本市出川2-3-1 ネオパーク内

TEL:0263-88-6644

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