幼少期の夢と長野の自然
保育園の時の将来の夢は大工でした。幼少期から父の会社を継ぐと思い育ったので、小学生の頃は社長になりたいと思っていました。中学生になると反抗期もあり、絶対に継ぎたくないと思っていた時期がありました。東京の大学に進学後、県外から見た長野県の自然は豊かであり、自分はその恵まれた環境で育ったのだと感じました。その時から長野の自然に誇りを持っています。また地元のゼネコン入社時に寺島工務店を外から見た時に、社会的地位を強く感じ、継ぐべきだと思いました。
職人としての父
父は、日本の伝統工法に対して、揺るぎない信念を持っています。職人としての芯を強く持つ父を尊敬していますし、この信念が弊社の基盤になっていると思っています。
不屈の精神
幼少期から、祖父や祖母に「どんなに小さな組織でも頭になりなさい」「責任を取れる人になりなさい」と言われて育ってきました。その影響から、部活の部長や登校班の班長、応援団の団長など「長」と名のつく役職をたくさん担ってきました。負けず嫌いという性格もあってか、自然とそういう立ち回りをしていました。小学生の時には、息を止めて潜る「潜水」という遊びで失神するまで潜っていたこともありましたね(笑)。
伝統技術と近代技術の融合
木を使うプロフェッショナルに特化したいという想いで、住宅建築や社寺建築、店舗建築など幅広く行っています。先代は住宅建築からスタートし、鐘楼を作ってもらいたいという依頼から、社寺建築を手掛けることになりました。また去年から今年にかけて、長野県の大町で「サントリー」様天然水北アルプス信濃の森工場の大きなレセプション棟をやらせていただいたり、長野インター近くにオープンした「いろは堂」様のおやきファームの施工に携わったりと大規模な建築を施工させて頂きました。
難しい技術を持っているからこそ、大規模な建築で活かしていくべきだと思っています。お寺などの伝統工法の技術に今の近代建築を組み入れることを得意としているので、昔の技術を今でも使えるように創意工夫しています。木のプロフェッショナル集団としてどこにも負けない想いを持っています。
日本文化を学びに海外から…
今、日本の建築文化が海外で注目されていて、特にヨーロッパで見直されています。実際に、スペインのマヨルカ島にいる方が茶室を購入するなど、盆栽や茶道、華道などで使用する和室が人気があります。また、日本の建築文化を学びたいとフランスから来日して2年半在留している方やベルギーから来日して入社する予定の方など、日本の建築文化を学びたいという方が海外には多くいらっしゃるんです。
サスティナブルな文化
私たち寺島工務店が木で建てたものは、最後には土に還ります。例えば、畳や障子、土で塗られた壁などの木造建築は必ず全て土に還ります。つまり、日本の伝統的な木造建築は全て土に還り、これは今のSDGsの考え方にも繋がると考えています。また技術者として成長し、箔をつけてほしいという想いから、一度は海外に行ってもらいたいと考えています。
日本建築のグローバル展開
私たちが海外に赴いて、茶室などの日本建築物を実際に作るよりも、地域の大工に日本の技術を伝承し、建築してもらいたいと考え技術指導を行っています。また、日本の建築技術を広めてもらいたいと思っていますし、日本の技術が広まれば、仲間が増え、より日本技術が浸透すると思います。今後も海外の方へ日本の建築技術の伝承を行うなど、グローバルに展開していきたいと考えています。
古来から続く伝統的な技術を受け継ぎつつ新たな技術と融合させ、世界に誇る日本の建築文化の精髄を伝承していきたい。